一見すると小柄で温厚な好々爺にしか見えない中嶋氏だが、その口からはIPv6とかサブルーチンとか、現代の技術用語が齟齬なく飛び出してくる。退職する瞬間まで現役のエンジニアとして通用する人が、世の中にどれぐらいいるだろうか。
――実際ケーブルテレビを作る最初って、アンテナ立てるところからですか。
中嶋氏: そうです。最初に受信地点を地図上から探すわけです。1/50000とか、当時1/25000のがあったか記憶にないけど、とにかく地図でさ、まず電界強度計算尺で計算して、良さそうな場所を地図上にプロットして、そこを目指して行くわけです。
――そこが受信点ということですか。
中嶋氏: それもまあ計算上そこだろうっていうだけでね、実際はもう前人未踏の山ですよ。そこに向かってふもとから一直線にガバーっと登るわけ。最短距離でまっすぐ。
――え、なんでまっすぐ?
中嶋氏: もしそこでOKだったら、最短距離でケーブル引くでしょ。ケーブルを引くルートとしてふさわしいかも同時に調べるわけですよ。地元の人に案内を頼むんだけど、絶対登れないっていうわけ。だいたい地図のここへ行きたいって言っても、みんな地元の人は地図の見方わかんないし、そもそもどこだかわかんないの(笑)。
――わかんないんですか(笑)。
中嶋氏: 道もないわけだからね、薮を切り開いて貰わなくちゃいけない。そうしてせっかく苦労して登ってもさ、行ってみたら岩場だったり、熊の巣になってたりすることもあるわけですよ。みんなして慌てて逃げるわけ(笑) 。
――大変じゃないですか。
中嶋氏: 大変ですよ(笑)。で適当な候補地が見つかるとね、そこで10×10メートルのところに1メートルずつ縦横に縄を張って、その交点を100ポイント計るんですよ。それも葉のしげった時と、木が枯れた冬の2回登って、それぞれ100ポイント計るわけです。元々難視聴地域なんだから、アンテナ立てるところの条件も元々厳しいわけ。だから安定したところを選ぶために、そういう調査をするわけです。施設を100作ったってことは、実際にはもう500カ所以上登ってるってことになりますね。
文字では氏の人柄が上手く伝わらないのがもどかしいが、実際の中嶋氏は決して自分を中心に置かない人である。飲み会の席でも(例えそれが自分の送別会であっても)端のほうに目立たなく座るような人だ。だがいつの間にか中嶋さんを中心に、人の輪ができている。筆者もそんな輪の中に加えさせていただいている1人である。
2004年10月の中越大震災の時に、筆者は地元ケーブルテレビに応援に行ったことがある。実はそのときすでに中嶋氏は先に現地入りして、システムの復旧に尽力されていた。スタッフが帰宅した深夜、局舎で一緒に缶ビールを飲み、応接室に寝袋を並べたのが懐かしく思い出される。
――ケーブルは、やっぱり電柱みたいなのを立てるんですか。
中嶋氏: 簡易な電柱を立ててね、同軸ケーブルを張るんです。僕が見つけた方法は、当時東京電力が撤去した電柱ってのが、安く売ってたんですよね。それを全部買い集めて、再利用するんです。でもそれやり出したら電柱の中古が高騰しちゃってねー、ゴミ同然だったのに(笑)。あとは地下に埋めるところもあったし。雷の多いところは埋めたねぇ。
――ケーブルって1本しか引かないんですか。
中嶋氏: 1本だけですよ。バックアップとかそういう考え方はないです。そんな余裕ないですよ、当時ケーブルがすごく高かったんだから。1メートル500円ぐらいしたんじゃないかな。それを長いところだと、2キロメートルぐらい下まで引くわけです。
――そういうケーブルって、既製品だと最長何メートルなんですか?
中嶋氏: 500メートルですね。一番太いヤツで、17C(内径が17ミリ。外部皮膜を入れるともっと太い)ってのがありましたね。ケーブルも巻き芯を小さくしたら、線が傷むじゃないですか。だからものすごく大きな径で巻いてあるわけ。それで17Cって言ったら、もうね、想像を絶する大きさですよ。それが専用の運搬車で、何台も連なってやってくるわけです。それまで村に入ってきたでっかい車の新記録を塗り替えるわけ。みんなビックリして、そこでようやく共同受信ってのはエラいことだとわかって貰えるんです。ただそうやってせっかく張ったケーブルもね、切れるんですよ。そのほとんどが、猟銃か雷。
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