コラム
» 2006年07月03日 10時00分 UPDATE

小寺信良:ケータイメールに翻弄される子供たち (1/3)

使わせざるを得ないという前提になっている“子供とケータイ”の関係。最大のデメリットは、大人が自分の責任で使う機能がそのまま使えてしまうことだろう。なかでも一番タチが悪いのが、子供に精神的なダメージを与えるチェーンメールだ。

[小寺信良,ITmedia]

 子供と携帯電話の関係について、さまざまな意見が存在する。少し前までは、持たせるか否かについての議論もあったのだが、最近は使わせざるを得ないという前提での議論に変わってきているように思える。

 子供に携帯電話を与える側である親の方にもいろいろな事情があるようだ。筆者の家庭では、長女には小学5年生の後半から携帯電話を持たせた。近所の子供で知る限りでは、小学2年生から持たせているというのが最も早いだろうか。

 この子の場合は、両親が共働きであるという境遇が関係している。親としては学校からの登下校はともかく、家に帰ってからの日中になにかあると心配だというところだろう。ただこれぐらいの年齢では、メールなどはまず使わない。親も子供も、直接声を聞いて安心するという用途がメインである。

 それ以外で子供に携帯電話を持たせる事情として大きいのは、学習塾ではないか。小学生でも中高学年になると、本人の好む好まざるに関わりなく行かされるケースが多い。都市圏近郊では、日も暮れかかりそうな頃に電車に乗ると、いわゆる塾バッグを背負った子供が一人で電車に乗っているのを見かけることが少なくない。おそらく一駅二駅離れた塾からの帰りなのだろうが、そう遠くないとはいえ、やはり一人で電車に乗せるのは心配な気持ちはわかる。

 一方で小学生でも高学年になると、持たされるというよりも、持ちたいという具合に変わってくる。携帯電話を持たされている友達を見て、なんだかかっこよく見えるもののようだ。また女の子の場合は、コミュニケーションを重視するため、夜に友達同士でのメールというのが普通になってくる。筆者の子供の頃は、家庭の固定電話で長電話する姉の姿などをよく覚えているが、いわゆるそういう状況が形を変えて、ケータイメールになっているということだろう。

 この「無理に持たせなくても持ちたがる」という状態と、子供向けの携帯電話やサービスが堅調であるという状態は、表裏一体である。大人にはもういい加減行き渡っていて、あとはキャリア間のパイの食い合いという厳しい状況の突破口として、新しい顧客層という位置づけになってきている。

教育現場における取り組み

 通学時に携帯電話を持たせるかどうかという件に関しては、学校側の理解が不可欠である。携帯電話をオモチャと見なせば、当然禁止せざるを得ない。また盗難や紛失などが起こればそれなりに面倒なことになるわけで、学校側の負担も増えるだろう。

 ただ通学時に限っての使用に関しては、先日も小一女児つれさり未遂の現場を、小二の女児が携帯電話で撮影していたことから、犯人逮捕につながったという事例もある。もっともこれは携帯電話の通信・通話機能が役に立ったわけではなく、カメラが付いていたというところがポイントだ。

 この事例は、携帯電話をもはや自動車電話の延長線上にある「携帯できる電話」として語ることは無意味であり、今や「ケータイ」という別のデバイスであるということを象徴している。ケータイのような複合情報機器に普段から親しみ持ち歩くことで、犯罪抑止や解決に効果があることが立証されたと言える。

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