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テレビ局を震撼させた「まねきTV裁判」の中身小寺信良(4/4 ページ)

» 2007年03月05日 09時00分 公開
[小寺信良,ITmedia]
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次の一手が予想できない者が負ける

 最後に、まねきTV裁判でなぜテレビ局側が勝てなかったのかを考えてみたい。おそらくテレビ局側は、すでに録画ネット裁判で勝訴した判例があり、同じ著作権法侵害を当てはめれば勝てないはずはない、と思っていたのだろう。

 これは結果論だが、同じ著作権法でも複製権と送信可能化権では、かなり性格が違うことがわかった。複製権は、ある意味デジタルコンテンツを扱う以上は誰にでも関係するほど幅広い。一方で送信可能化権は、放送権などを含む「公衆送信権」の一部という、関係する条件がかなり限られる権利である。

 送信可能化権で裁判となった事例はことごとく、コンテンツをファイル化してサーバーなりP2P網にアップロードしたことが問題となっている。ロケフリの場合は、受信した放送をそのままストリームとして流すだけで、ファイル化するという状態がない。法律の性格上、ファイルの状態であるか否かを問われないとは考えられるが、これまでそこに立ち入った判例がない。そこに大きな意味が出たとは考えられないだろうか。

 録画ネットの裁判時から、やがては放送可能化権が争点になることは十分予想されたはずだ。テレビ局の敗因のひとつは、その時点から次の手を想定して論理武装していなかったことだ。

 もうひとつ、送信可能化権で争うのであれば、「誰が」という主体を問う論点に意味がないことに気が付くべきだったことだ。この侵害が確定するには、「公衆への送信である」ことがまず証明され、次にその責任の所在として誰を裁くか、という順序が必要になる。言うなればWarez壊滅のためにできたようなもので、それがコンテンツにまで拡大されたに過ぎない。

 「誰が」が問題になるのは、公衆送信の状態が確定された後なのである。一方で複製権は、主体が誰かで適法・違法が分かれる性格を持つ。つまりテレビ局側は、注力ポイントを複製権侵害の時と同じに据えたままで、全然違う性格の権利上で戦ってしまったと言える。

 あるいはリアルタイムでストリーミングということに着目すれば、やってることはIP放送と同じである。むしろ送信可能化権ではなく、「有線放送権の侵害」で争うべきだったかもしれない。

 こうしてまねきTVの事業は合法となったが、同じようなサービスが今後も無事でいられるとは限らない。おそらくテレビ局側は、今後も同じようなサービス事業者に対して、まねきTVとの差違を見つけて裁判を起こすだろう。なぜならば今度の一件では、県域免許という放送法の枠を超えてテレビを視聴することが、事実上解禁されたからである。

 既存の放送網を使わずに、キー局の番組全部が全国で視聴されるようになれば、地方局の存在意義はなくなる。もっとも、地方局は自力じゃ電波を届けるの大変だから、電話会社にIP放送やらせようなんて腹づもりでもいるようだが、それがそもそも甘い。

 さて、次の課題はデジタル放送だ。まねきTVのサービスも、現状はアナログ放送だから可能になっているわけで、2011年以降は話が違ってくる。テレビ局側としては、あと4年時間を稼げば一網打尽という腹はあるだろう。

 ソニーとしては、デジタル放送対応ロケフリの開発にも意欲的だ。だがDTCP-IPを使うだけでは、ホームネットワーク内では伝送可能だが、外部に伝送することはできない。これ以上は、誰も踏み込んだことがない領域なのである。

 テレビ局側は、誰の損得ではなく、法に照らし合わせて違法かどうかが問題だという。だが著作権の権利処理が進まずテレビ局側にデメリットを生じさせているのは、この「法ありき」の考え方である。米国の権利処理が簡単なのは、儲かるか儲からないかが問題であって、儲かるが違法な場合は法律の方を変えるか、法に頼らず契約で済ませるからだ。

 あくまでも法を主体で事態を進めたいのならば、それは日本が作らなければならない。これもまた、誰も踏み込んだことがない領域なのである。


小寺信良氏は映像系エンジニア/アナリスト。テレビ番組の編集者としてバラエティ、報道、コマーシャルなどを手がけたのち、CGアーティストとして独立。そのユニークな文章と鋭いツッコミが人気を博し、さまざまな媒体で執筆活動を行っている。

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