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クラシックシーンをリードするベルリンフィルのメディア戦略麻倉怜士の「デジタル閻魔帳」(3/4 ページ)

» 2016年11月03日 06時00分 公開
[天野透ITmedia]

麻倉氏:フィルハーモニー内には映像スタジオと音声スタジオがそれぞれ用意されており、映像ではカメラ7台をスイッチャー、ディレクター、テロッパー、音声のわずか6人チームで操作しています。チームは全部で6つあり、公演毎に交代でシステムを回すそうですよ。

 7台のカメラは全て固定で、ズーム、パンといったカメラ操作を映像スタジオでリモートコントロールし、専用のタッチパネルモニターでスイッチングしています。スイッチシステムには今流れている本線の放送映像が、その下に各カメラの映像がそれぞれ表示されており、それに対してディレクターがスコアを見ながら、あらかじめ決めておいたタイミングで次々とスイッチングしていきます。カメラのスイッチタイミングは基本的には決まっていますが、どこの映像を選ぶかというのはディレクターの手に委ねられています。操作としては選択する映像を6つの中から選び、それを2分先分として予定して置いておいて、スイッチタイミングでスイッチするというものです。

――スコアを見て映像の演出を行うあたり、デジタルコンサートホールにおける指揮者とでも言いましょうか、まるで映像を使って演奏をしているような操作ですね。

麻倉氏:ベルリンフィルの演奏会レベルの収録の場合、通常の放送局では20人くらいのチームでやるのを、デジタルコンサートホールではわずか6人で回しています。かなり効率的な運用です。実はアンネ=ゾフィー・ムターが出演したベルリンフィルのシルベスターコンサートのライナーノーツを書くというお仕事が帰国翌日に入ったんです。ユーロアーツのプロダクションでカメラ持ち込みの収録なのですが、カメラマンやディレクターなどの名前をスタッフロールで数えると確かに30人ほどありました。この高効率も常設システムを構築できる利点ですね。

タッチパネル式映像スイッチャーシステムのデモを行うツィマーマン氏。ホール常設という利点を最大限生かした、大規模かつ高効率なシステムでデジタルコンサートホールは運営されている
ホールに設置されたカメラ。来年夏を目処にパナソニックの4K+HDRシステムを導入する予定

麻倉氏:フィルハーモニーに関しては音声がまた面白いんですよ。フランケさんの案内でホールを見学している際に、フランケさんが大ホールの真ん中でパチンとワンクラップしました。これは残響感を調べるために音響のプロがよくやることで、われわれオーディオ評論家やオーディオファイラーも部屋の特性を調べるときにやりますが、大ホールは響きの収束が結構早く、ワンワン唸ったりしませんでした。ああいったコンサートホールでは一般的に豊かな響きを追求して結構モヨモヨと鳴るものですが、フィルハーモニーではこれが結構すっきりと音が消えたんです。あのクリアな消え方はすごいですね。

 実際にコンサートを聴いても明瞭(めいりょう)で、解像度が高い現代的な音です。同じベルリンにあるコンチェルトハウスは対照的で、解像度が低く昔の真空管アンプやカートリッジで聴いているようなアナログ的な音がします。最近リリースされているアナログは現代的なカリカリの音がしますが、そうではなく昔のLPを聴いているようなお団子的な感じで、レンジも広くなく編成もよく判らない印象でした。

 対してフィルハーモニーは高精細な高解像音です。懇親会の場でクランケさんと話をしていた時にこれを話したところ「いやいやいや、コンチェルトハウスもつい最近改装して比較的音が良くなりましたよ」と。でもやはりフィルハーモニーとは大違いです。

 もう1つ、このホールの凄いところは、リハーサルで録っても本番で録っても音が変わらないということです。本番は客席が聴衆で埋め尽くされるにもかかわらず、ですよ。「リハはお客さんが居ないから響きが多いに決まっているだろう、そんなわけがあるか」と思うところですが、いやいやこれが違います。設計者のハンス・シャロウンはそういった音響特性も考えており、客席が埋まっていても空いていても同じ特性となるように、吸音率を考えて座席のクッションを厚くしたのですね。そのくらいフィルハーモニーの座席はふかふかで、なかなか凄いです。

ワンクラップでホールの残響感を示すクリストフ・フランケ氏。スッキリとした中にも芯のある現代的な響きがフィルハーモニー大ホールの特長だ

麻倉氏:現在のフィルハーモニーの建設にあたっては、当時ベルリンフィルの首席指揮者だったカラヤンがデザインコンペを行いました。その結果、採用されたのが、ベルリンフィルのシンボルともなっている五角形の、世界初のワインヤード式オーケストラホールです。採用の理由は全ての座席がホール中央を向いており、聴衆の視線が指揮者に集まるというものだったのですが、シャロウンはコンサート時のみならず音源収録の可能性も考えた音響設計をしていました。今後、ますます音楽録音が増えるという当時の情況を考えると、ベルリンフィルの録音は従来使われていたイエスキリスト教会ではなく、当然このホールで行うとなるでしょう。その際は本番のみならずリハの音も録る訳で、そうなるとリハと本番に音質差が出てしまっては編集の時に致命的です。その音質差をなるべく減らそうという設計が1963年当時に既になされており、それが今でもなお生きているのです。

――フィルハーモニーというと五角形のワインヤード型ホールという点がよくクローズアップされますが、音響的に見ても時代を変えた設計だったというのが驚きです。コンセルトヘボウなどの当時一般的だったシューボックス型音響からの大転換で、なんと50年も時代を先取りしていたのですね。

ワインヤード式のフィルハーモニーとシューズボックス式のコンセルトヘボウの比較。戦前に造られたコンセルトヘボウは「奇跡の響き」と名高いのに対して、1960年代に新設されたフィルハーモニーは現代的な高い解像感が特長

麻倉氏:フィルハーモニーの収録はマルチマイクでハイレゾを録っているので、音場の情報もすごく入ります。音源制作の際にはそれが違うと困るのです。デジタルコンサートホールではリハと3回の公演を収録し、基本は最後の演奏をアーカイブとして保存します。生中継をいじることはできませんが、もし本番であまりにもひどい雑音や演奏ミスなどといった事故があった場合は、アーカイブする際に差し替えるなどして修正をかけています。その場合は編集が必要になるわけですが、フィルハーモニーの音響はそういった編集の基礎的な環境が良好なんですね。

 加えてフィルハーモニーは響きと直接音のバランスがかなりハイレベルで、響きを入れてもかなり直接音が録れるため、マイクが一般的な高さよりも高い位置に置かれています。響きが多すぎるホールの場合は直接音を録るためにマイクを相当近く(低く)に置く必要がありますが、フィルハーモニーは響きが透明なので、マイクを上に置いて響きに重点を置いた収録でちょうどいいバランスになるのです。ベルリンフィルの音の秘密が垣間見られた体験でした。

――言われてみればフィルハーモニーのマイクはステージ上部の反響板と同じ位置に点在しており、実際にサントリーホールと比較しても、その差は明らかです。というか、あんな位置にマイクが設置されているホールはなかなか見当たりません

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