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MQAの音が良い理由 ニューロサイエンスが解き明かした聴覚の“真実”(4/5 ページ)

» 2017年10月31日 14時53分 公開
[天野透ITmedia]

麻倉氏:音響心理学とニューロサイエンスでは、現象の捉え方が全く違います。音響心理学は端的にいうと、人間をブラックボックスあるいは1つの処理系統と捉え、音を与えたときの反応を現象として研究するものです。人間の聴覚と音の現象をリニアに考えて“A=B”と結論付ける、オーディオ的にいうと、物理的に20kHz以上は“聞こえない”とするのが音響心理学です。

 対してニューロンサイエンスは、音を与えた時に人間の神経はどのようなメカニズムで反応をするのか、つまり(音響心理学では)ブラックボックスとした人間の中身を分析します。“A=Bの間にあるメカニズム”をノンリニアで考える、オーディオ的には、聴こえないはずの20kHz以上の音が“人間にどう影響するか”を考えるという視点で物を見るのです。

現在はMQAのトップを務めるボブ氏は、メリディアンオーディオを創業するよりもずっと前から、“人間は音をどう感じるか”という問題と向き合い続けてきたという

――「音が聞こえる/聞こえない」という次元で考えていたものが、「これはなぜ良い音に聴こえるのか、そもそも良い音というのは何だ」というところまで踏み込み、それを神経伝達の視点から考えようという次元に昇格させたという訳ですね。確かにニューロサイエンスの考えだと「デジタルはノイズがない=良い」という単純な図式が崩れ、「デジタルとアナログの音の違いは何だ、それは人間のどんな反応を引き出すのか」と、より根源的な眼差しを向けることになります。これは明らかな飛躍です

麻倉氏:人間が自然界の音を聞く時、風や小鳥といったいろんな現象が合成され、1つのストリームとなって耳に入ります。これが脳内では1つずつに分解され「あれは雨の水音」「これは風切り音」「こっちは鳥のさえずりの反響音」と認知するわけです。ニューロサイエンスではこの統合と分解のメカニズムを研究します。

 2012年に神経科学研究者のMichael S. Lewicki准教授、翌年にJacob N. Oppenheim氏などが相次いて論文を発表しました。これによると、人間は時間に対して“超”敏感なのだそうです。音響心理学的な視点の従来論では、人間の時間的な分析力は50μsとされていましたが、そこで見過ごされてきたものをニューロサイエンスの視点で分析した結果、従来の5倍、つまり10μsで反応を示したとのことです。音楽家はさらに上回り5μs、指揮者はもっと上で3μs。それだけ人間の感度というのは繊細だということを、ニューロサイエンスは示唆しました。

 PCMの基礎原理であるFFT(高速フーリエ変換)では、分解された周波数しか分かりません。音響心理学のみの時代では特性分析しかありませんでした。ですがニューロサイエンスが入ることで、新しい扉が開きます。つまり96kHzのハイレゾ音源が良いのは、より細かいフーリエ変換によって時間軸解像度が上がるから。高音よりも時間の細かさが重要ということです。

――これは極めて重要な示唆です。ハイレゾの音が良い理由として、よく「デジタル化(標本化)が細かいステップになるから、元の滑らかなアナログ信号に近づく」と説明されています。大きなマスの方眼紙と小さなマスの方眼紙を並べた画像を見たことがある方も多いと思いますが、ボブさんはあの説明を「宣伝用に簡略化したもので、原理的に正しいとは限らない」と言っていました

 ハイレゾ化は単位時間あたりにより多くのフーリエ変換を詰め込む(=多くの定周波を重ねる)のであって、時間の刻み方(=方眼紙のマスのサイズ)が正確に小さくなるとは限らないというわけです。その時間的なブレの解消がボブさんの言う“デ・ブラー”。原理を知っていれば当たり前の結論ですが、常識を疑うことで新たな知見を導いたと言えるのではないでしょうか。

 ニューロサイエンスの導入にはもう1つ大きな発見があります。従来は年をとると聴覚が衰えて高音が聞こえにくくなるので「音楽鑑賞には向かない」と言われてきましたが、ボブさんによると時間の敏感さは年齢では変わらないそうです。人間は原初、音を危機管理の重要な情報として使ってきました。例えば原野で狼に狙われた際に、角度/方角/距離などを視覚と同時に聴覚で測り、生命を維持してきたのです。時間的な感度の高さはその名残りで、ニューロサイエンスによる分析の結果、聴覚の感度は本能的な部分で高いということが分かってきました。

 これがMQAとPCMの音の違いの原点です。MQAは時間軸解像度が人間の感度(10μs)に近いのに対して、PCMは50msが限界です。1ms(1/1000秒)は音がおよそ1ft(およそ30cm)進む時間で、その精度が出ないPCMでは1ftの距離の違いを描き分けられず、距離感が正確に出てこないのです。これは極めて大きな問題で、オーケストラでいうと、バイオリンと管楽器の距離の違いが、MQAでは分かるがPCMでは分からない、となります。MQAとPCMでは、音で感じる距離感のレベルがぜんぜん違うのです。加えてPCMには時間軸変動、つまりブラーが出て、時間的なフォーカス感が低下するという大きな問題もあります。

 ボブさんは最新サンプリング理論とニューロサイエンスという武器を携えて、これらの問題に対処する新しいデジタルオーディオ技術を開発していきました。大事にしたのはエンドトゥーエンドでやるということ。自然な音を出すにはトータルで時間軸精度をキープする必要があり、単に再生系でフィルターをかける(プレーヤー内でPCM音源にデ・ブラーフィルターをかける)だけでは効果が少ないのです。音源をMQAでエンコーディングし、それをプレーヤーでD/A変換する、これが重要です。

 さらにもう1つ、PCMは低、中、高の全音域が同じようなパワー感で処理していますが、MQAは人間の感度に合わせたミドルからアッパーまでを重視したエンコーディングをかけるというポイントもあります。これも近年の研究成果によるもので、自然の音は距離が遠くなるに従って、F特(高域)が下がるのです。例えば雷の音は、近いとバリバリという高域が耳に刺さりますが、遠い雷鳴はゴロゴロという低域が唸ります。時間とともに高域が下がる、それがつまり“自然な音”なのです。ちなみに近年の研究によると、スピーチなどでは周波数重視、音楽では時間軸重視が良いようです。

テクノロジーの発展と新理論が新たな地平を切り拓いたと語るボブ氏。音響心理学を専攻してきたボブ氏にとって、ニューロサイエンスの登場は“音を感じる”という概念を根底から覆す革命だった
“時間芸術”といわれる音楽にとって時間の再現性がいかに重要か。時間に対する聴覚の感度が従来の学説よりはるかに高いというニューロサイエンスの理論によって、ボブ氏はそれまでのデジタルオーディオが見過ごしてきた“研究の金脈”を掘り当てた

麻倉氏:MQAシステムをボブさんが作り上げる際に、まずデ・ブラーフィルター技術を主体にして時間軸解像度を維持、さらに“オーディオ折り紙”技術でデータ量を節約し、最終的にはDACで聞くという「ホールチェーン」を策定しました。そうしてできた試作機をボブさんはスタジオに持ち込み、世界中のスタジオエンジニアに聞いてもらったそうです。理論はもちろん、試聴による調整を欠かさないというのが基本姿勢です。

 ここで面白いのが、実際に音を聞いてプログラムを調整し、何度も繰り返すうちに、オーディオ折り紙で調整した音の方が高評価になったということ。ボブさんによると、ファイルサイズと音のクオリティーに関係はないのだそうです。これは「音質はデータ量によってある程度決まる」という、従来の常識を根底から覆すものです。ボブさんは90年くらいからロスレスコーデックの開発をやっており、その延長線上の感覚です。

 エンコーダーには多くのオプションがあり、どの音楽の時にどのDAWで制作した音源ならば、どのようなパラメーターを与えるべきかという最適解の選択を、AI的に学習するようプログラミングしているそうです。こういったことをロンドンや西海岸、モントリオール、東京などの世界中のスタジオで、2年かけて研鑽を積んできました。だからその名はMQA=Master Quality Authenticated(マスター品質として認証された)、世界のスタジオエンジニアのお墨付きなのです。

――ところで現状のMQA音源はすべてPCMからの変換ですが、これで音が良くなるのはなぜでしょう? そもそも録音の時点からMQAで作られた音源というのはまだないのですか?

麻倉氏:音が良くなるのはボブさんが丹精込めて開発したフィルタリング技術の賜物です。元の信号から時間軸変動を抽出して補正、本来の時間軸精度が復活するのです。音源に関してはまだMQA録音は出てきておらず、今後はPCMからの変換ではなくMQAダイレクトレコーディングに取り組むそうです。ちなみに最近ではMQA変換・再生を見越して、最適になるような工夫をあらかじめPCM録音で施すエンジニアも出てきたとか。

 そういうわけで、ADCに関しては現在2社が開発中。近日中に発表予定としていました。さらに、ライブストリーミング用のリアルタイムエンコーダーやイマーシブサラウンドといった展開を考えており、イマーシブサラウンドはチャンネルを増やすだけなので難しくない話していました。DACやスマホをはじめ、AVRにもどんどん入ってくる予定です。

――リアルタイムエンコーダーができれば、データ量削減で放送波に使うことも考えられます。いよいよテレビもハイレゾ化という時代は、案外すぐそこかもしれませんね

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