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Winnyを肯定的に議論するWinny事件を考える(2/2 ページ)

» 2004年05月17日 07時57分 公開
[石橋啓一郎ITmedia]
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思想の表現としてのWinny

 47氏の著作物に関する考え方を振り返ってみると、Winnyは彼の考える著作権のあり方や情報共有の仕方を、機能するプログラムとして表現したものであり、Winnyそのものが著作権法の著作物についての定義である「思想を創作的に表現したもの」であると思えてくる。私はプログラムを著作物として扱うことには違和感を抱いていたのだが、Winnyのようなものこそ、著作物としてのプログラムと言えるのではないか。

 そう考えると、Winnyの配布を問題視することは言論の自由を侵しているように思えてくる。「知的財産」として金銭的な権利を守る文脈では「プログラムは著作物だ」と言っておきながら、このように思想性のあるプログラムがその表現としての価値を認められず否定されるとすれば、どこかおかしい。

Winnyを肯定的に議論する

 ここまで、いくつかのWinnyの功績を挙げてきた。証明こそできないが、私はWinnyがこれだけ多くの人に支持されているのは、単に映画やソフトがただで手に入るからではないと思う。Winnyが作られ改良されていく過程、そこに込められた思想、Winnyが見せてくれる新しいネットワークの使い方など、様々な点でWinnyは優れているし、何より口や文章だけではなく、それが動くものとして手にはいるということは素晴らしいことだ。ここでは技術的なことはあまり議論しなかったが、仕組みとしても新規性があり、これだけ多くの利用者によってテストされながら微調整を繰り返した非常に希なP2Pソフトとしても、Winnyには大きな価値がある。そのような価値を、多くの人が多かれ少なかれ認めているからこそ、Winnyが話題になるのではないか。

 よほどのことがない限り、新しいルールが決まるまでは古いルールを守るのが筋であり、Winnyで積極的に著作権侵害をする行為や、それを直接的に助ける行為を許していいわけではない。47氏がした行為が違法であるという結論が出れば有罪とされるべきだし、その上で今の法律が不適切だとわかれば、変える議論をすればよい。しかしそのこととは別に、Winnyが挙げた成果は安易に否定してしまうことなく積極的に評価すべきだし、その中でよいものは受け継いで行くべきだ。Winnyがきっかけで起こったことには、来るべき情報社会のあり方を考えるヒントが多く含まれている。

 <記事について>本稿は、Winny開発者が逮捕された5月10日付けで石橋啓一郎氏が自身のブログで発表した文章を改稿したものです。

 石橋啓一郎氏は国際大学GLOCOM 助手・研究員。1995年慶應義塾大学環境情報学部卒。1997年慶應義塾大学政策・メディア研究科修士課程修了。2001年同研究科博士課程単位取得退学。2001年インターネット戦略研究所客員研究員。2002年6月よりGLOCOM助手・研究員。日本のインターネット創成期に大学でインターネットに出合い、以後インターネット技術を学びながら、ネットワークと社会の関係について取り組んできた。現在では、主として地域通信インフラ整備・地域情報化の研究に取り組んでいる。訳書に「ネットワークセキュリティ」「暗号とネットワークセキュリティ」(共にピアソンエデュケーション)など。

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