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» 2006年03月20日 10時21分 UPDATE

ITは、いま:ひきこもりからIT社長に “paperboy”の軌跡 (1/4)

27歳にして売上高8億円のIT企業の社長だが、高校時代はひきこもっていた。大学もあきらめ、サラリーマンになり、ネットで出会った妻と暮らした。つつましく生きていければ、それでいいと思っていた。

[岡田有花,ITmedia]

 高校1年のころ、外に出られなくなった。特に昼間がつらかった。「同い年の人がガヤガヤと通り過ぎるのがダメで」

 パソコンが好きだった。キーを叩いていれば、すべてを忘れられた。「お前のために、パソコンクラブ、作るから」。担任はそう言ってくれたけど、学校は辞めてしまった。

 3年間、ひきこもった。悩んだ。大検に合格したが、大学には入れなかった。家庭の事情で追い詰められ、サラリーマンになり、ネットで出会った女子高生と恋をし、結婚して子どももできた。

 家族と一緒につつましく暮らしていければいいと、SOHOで合資会社を立ち上げた。知らず知らず、時代の波に乗っていた。1人でやるつもりだった会社は、売上高8億5000万円、従業員72人のネット企業「paperboy&co.」(ペーパーボーイアンドコー)に成長する。

 「まさか社長になるとは」――振り返ると、自分でも驚く。家入一真、27歳。饒舌ではない。照れ屋で、カメラを向けると困ったように視線を泳がせる。いわゆる“IT社長”には間違いないが、ギラギラした前のめりな若者を想像していたとしたら、当ては外れる。

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 社長より、クリエイターのイメージがしっくりくる。絶妙なセンスで、クスリと笑えるコンテンツを作るのがうまい。例えば、西城秀樹が還暦を迎えるまでをカウントダウンする「秀樹、カンレキ」のブログティッカーや、「2ちゃんねる」で大評判になった、中国の人型ロボ「先行者」のジョークサイトなど、彼の作る1つ1つが、ネット上で話題をさらう。

 何かを作りたい、誰かに見てもらいたい――それが原点。引きこもっていたころから、作り続けていた。

PCに向かっていれば、すべてを忘れられた

 1978年12月。福岡県で、運送業の父と、パートの母の間に、3人兄妹の長男として生まれた。ファミコンとミニ四駆と絵が好きで、休み時間は4コマ漫画ばかり書いていた、普通の小学生だった。

 中学2年のころ、クラスのリーダー格だった友人とささいなけんかをし、それ以来、友達がいなくなった。「人と話すときの距離感とか、分からなくて」。高校でも1人きり。学校が辛かった。半年もたたず辞めてしまった。

 PCにのめりこんだ。高校の入学祝いに買ってもらったPC-9801 FXで、ワープロソフトで外字を作ったり、文字に網かけして遊んだ。パソコン通信「NIFTY-Serve」で見知らぬ大人との会話にハマり、ダイアルアップで毎晩つないでいたら、10万円もの請求書が来て親に叱られたこともあった。

 C言語を本で学び、プログラムを組んだ。初めて作った作品は「ドットで描いた気持ち悪い顔が、血を吐きながらどアップになるスクリーンセイバー」で、当時は冊子体だった「Vector」に収録された。アクションゲームも作ったし、フリーソフトで遊んだりもした。ファイナルファンタジーの作曲家・植松伸夫さんにあこがれて、MIDI音楽も作った。

 1日中PCに向かっていれば、すべてを忘れられた。でも、分かっていた。このままではいけないと。

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