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(3)「貧しい漫画」が向き合ってきた自由と責任と同人誌と表現を考えるシンポジウム(2/4 ページ)

» 2007年05月28日 09時35分 公開
[小林伸也,ITmedia]

坂田 われわれが基準のようなものを定めているという話が第1部で出ましたが、どこが基準になるのかどうもはっきりとしない。それは刑法175条に1つの要因があったりもします。それから児童ポルノ法(児ポ法)で「児童」とは児童福祉法で定められた18歳未満を指します。しかしこれは一般的な「児童」という概念から少し離れた年齢ではないかなと思います。学校教育法で「児童」は6歳から12歳になり、辞典で調べると「児童」はイコール「子ども」となっているんですね。そこが16歳、17歳に該当するのかどうか、憲法の表現の自由などを含めて望月先生にお願いしたいと思います。

photo 望月さん

望月克也さん*3(弁護士) 松文館事件の弁護人をやっておりまして、その関係で表現の自由の問題にかかわっていくようになりました。わたしも永山さんとまったく同意見です。松文館事件にかかわる前は、アンダーグラウンドだとか、ゲリラ的なネガティブなイメージを持っていたというのが正直なところですが、事件にかかわって時間がたつにつれ、現場の方たちはゾーニングの話のようにがものすごく考えているんだとか、第1部で出てきたように、誠心誠意対応されているというのが印象的でした。

 さっきも出ましたが、たぶん外部の方にあまり認識されていない。わたしが当初抱いていたような誤った認識と同じような印象を持ってるというのが事実だと思うんですね。ましてや松文館事件のように裁判になった場合には、裁判などにかかわる人はなおさらだろうと。そういうことからも、外部に分かってもらう活動は非常に重要だろうと思います。

 ちなみに同事件は平成17年6月に東京高裁判決が出て、いま最高裁のほうに行っておりますので、いい結果が出るといいなと思っております。応援していただいた方もいっぱいおりますので、この場を借りてお礼を申し上げます。

 先ほどの坂田さんの話に戻りますが、みなさん一度は法律に目を通していただくことをおすすめします。法律の文章は分かりにくくて、一読しただけでは分からないものもいっぱいあります。例えば刑法175条では「わいせつな文書図画その他の物……」とあり、刑法上は「わいせつ」という4文字しかない。この「わいせつ」というのは具体的にどういうものかというと、「チャタレイ」*4判決とかで具体的に内容を示ししていたりする。

 いま児童の話が出ましたけれど、児ポ法で児童とは18歳に満たないものをいうと確か明示されていたと思いますので、関連したところだけでも一度目を通していただくければと思いますが、一度見ただけでは分からないこととかいっぱいあると思うので、その辺についてどのように考えればいいのかという点を、現場と徐々にリンクしていき、いい具合に発展させていければいいのではないかと思います。

坂田 表現の自由という権利のもとでわれわれは創作活動ができるということですが、何でも自由にできるのか、受け手側の選択や、読んで不快になる側の気持ちというものもあると思いますが、藤本さんはいかがでしょうか。

photo 藤本さん

藤本由香里さん*5(編集者/評論家) 91年の有害コミック問題*6の辺りからずっと表現規制の問題にかかわってきています。91年の事件は朝日新聞の社説*7から始まったわけなんですけれども、書店員が、性表現のきつい同人誌をを売っていたということで逮捕されることがありました。これががきっかけになり、これは黙っていてはいけない、表現の自由に対する規制を考え直そうと、非常に大きな盛り上がりを見せていきました。

 ただ、いま例えば同じような事件が起こったとして、当時のような反発や、表現の自由を守っていこうというような良識が働くのかは未知数です。現状を見ると、もしかしたら後退しているのではないかという危機感も抱いております。

 表現の「有害」論と表現の自由というのはずっとこの間、せめぎ合い続けてきました。今回「研究会」でも法規制にはいかないという結論になっていることにちょっとほっとしましたが、しかしこの先また浮上してこないとも限らない。そういうことも踏まえ、表現の自由ということを私たちはきちんと考えていかなければならないと思います。

 同人誌は商業出版ではないので、表現的には比較的何をやってもいいんだと見られていたところもあるかもしれませんが、最近では書店にも同人誌が置かれ、ネットでも自由に販売できるようになってきていて、規制の対象として浮上してきているのだと思います。

 表現の自由は基本的には公権力からの自由ということですが、表現の自由があるから、誰に対してもどんな表現をしても守られるべきだ、ということではないわけですよね。表現が他者を傷つけることもあるわけですし、表現をする時には必ず、表現をする者の責任というものが存在します。

 同じく90年前後ですが、ある同人誌、これは文章の同人誌で「やおいなんて死んでしまえばいい」と、ゲイの方が、やおい表現はゲイに対する非常に大きな差別を含んでいる、と告発したことがありました。もちろんこれは法規制などとは何のかかわりもありません。しかしわたしたちは、自分たちが好きで表現しているものの中に、他者に対する働きかけの部分、それを読む人にある一定の価値観を醸成していってしまう部分、というものがあるのだということに直面せざるをえなかった。

 第1部でコミックシティの方などから、女性はBLなんだからわいせつ罪には問われないだろうと、だから何をやってもいいんだという感覚がまだ少し強いんじゃないか、という指摘がありました。確かに現在、男女の性交以外でわいせつ罪で摘発されるということは現状ではありません。しかし刑法175条が「わいせつ」を男女の性交に限っているというわけではなく、男女の性交以外が摘発されていないのは、今まではそうだった、ということに過ぎないということを望月先生に確認させていただきました。

 刑法に触れる点が少ないとしても、青少年育成条例などには確実に引っ掛かってきます。これが先ほどから出てきている「18禁」ということです。91年の有害コミック騒動で、確かに表現の自由は守られなければならないが、子どもへの影響を憂えるという意見に対して、ではやはりゾーニングは必要だろうと、成人マークを付けて、それではっきり区別すると。「18禁」「成人」マークを付けるというのは、表現の自由と、影響を心配する人々とで共通のルールとして作られたということですね。


*3 望月克也(弁護士) 銀座共同法律事務所パートナー弁護士。松文館事件では、山口貴士弁護士とともに弁護人を務める。など、同事件は現在最高裁判所に係属中。

*4 「チャタレー事件」(Wikipedia)。ロレンス「チャタレイ夫人の恋人」を翻訳した伊藤整らが刑法175条に問われた。表現と自由をめぐる戦後の重要事件。

*5 藤本由香里(編集者/評論家) 筑摩書房で編集者として活躍するほか、少女マンガを中心とするマンガ評論や、女性のセクシュアリティ等についての評論家としても活動。主な著作として『私の居場所はどこにあるの?〜少女マンガが映す心のかたち〜』(学陽書房)、『愛情評論「家族」をめぐる物語』(文藝春秋)他。日本マンガ学会理事。

*6 「有害コミック騒動」(Wikipedia)。1989年の連続幼女誘拐殺人事件の犯人が「オタク」だった、ことに端を発した騒動。遊人さんらの作品が性的表現問題でやり玉に挙がったほか、「ドラゴンボール」などが暴力的と批判された。

*7 「朝日新聞」90年9月4日朝刊社説「貧しい漫画が多すぎる」。東京都が漫画雑誌などの性描写について調べた結果を引き、「こうした漫画や写真を幼い時から見せられて育つと、どんな人間になるのだろうか。文化の将来を考えて、そら恐ろしい気持ちにもなる」「この夏、『鉄腕アトム』の手塚治虫さんをしのぶ展覧会が、東京国立近代美術館で開かれた。ユーモアと人間性、そして文明の将来を憂える哲学など、改めて学ぶことは多かった。その理想と創造力を後輩作家がもう少し受け継いでいたならば、『漫画亡国』の批判も起こらなかったろうに」「もちろん、低劣であることを理由に、法律や条例で規制するべきではない。問題の多い雑誌などがあっても、話し合いと、出版側の自制で解決していくべきだ」などと論じ、「有害コミック」騒動が拡大するきっかけの1つになったとされる。同社はその後、手塚治虫文化賞を設けた。

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