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ロックスター、スティーブ・ジョブズの偽歴史

» 2011年10月06日 18時34分 公開
[松尾公也ITmedia]

 スティーブ・ジョブズ氏がAppleのCEOを辞したとき、「スティーブはもうライブをやらない」というブログエントリーを書いた。単なる優れた経営者としての評価に、大きな違和感を覚えたからだ。彼はぼくらの世代にとってジョン・レノン死後の世界を揺り動かす「ヒーロー」であり、「ロックスター」だった。彼が繰り出すマジックに幻惑されていた。そんなアーティスト、スティーブの偽歴史を、ぼくはこんなふうに書き始めた:

 偉大なパフォーマーでコンポーザー、プロデューサーのスティーブ・ジョブズがライブをやめると宣言した。彼が作り上げた不世出のロックバンド「Apple」のステージから降り、これまでバッキングに専念していたティム・クックがフロントマンとなる。

 話は1970年代にさかのぼる。最初は、地元で意気投合したもう一人のスティーブ、ウォズとのフォークデュオ「Two Steves」だった。Two Stevesがガレージで作った手作りの「Apple I」は正規ルートでは流通しなかった。インディーズだったので200枚のみ。スティーリー・ダンっぽい写真が当時の音楽性を物語る。

 その後ヒットするに従ってどんどんバンドメンバーが増えていき、初期ヒットのApple IIは売れ続けた。Apple IIを、トッド・ラングレンがカバーしたこともあった。 Utopia Graphics System。Apple IIをグラフィカルに拡張したようなものだった。トッド・ラングレンはその後もAppleと友好な関係を続け、スティーブ不在の時代にだが、広告に出演したりしてる。ミュージシャンズ・ミュージシャンに愛されたバンド、それがAppleだった。

 だが3枚目のApple IIIは悲惨な結果に終わった。バンドの立て直しを図るためにスティーブは新メンバーを見つけた。イーストコーストで甘ったるい曲を次々とヒットさせていたジョン・スカリーだ。「死ぬまで砂糖水を売り続けるの?あんた」

 ジョン・スカリーはバンドの中核メンバーとして参加し、ウォズに代わってスティーブと組む、新たなツートップとなり、2人は「ダイナミック・デュオ」とも呼ばれた。

 スティーブにはバンドに隠れてこっそりスタートしていたアルバムプロジェクトがあった。パロアルトにあるジャズバンド、ザ・ゼロックスのギタリストであるアラン・ケイが実験中のSmalltalkという曲に、未来を見いだした(よく対バンでいっしょになっていたビル・ゲイツも同じところに目をつけて、Windowsという曲を作り始めるのだが、それは別の話)。

 スティーブが自分の娘の名前をつけたLisa、そしてその続編として予定していたMacintosh。この2つのアルバムは並行して進められていた。スティーブは若いが腕のたつメンバー、アンディ・ハーツフェルドやビル・アトキンソン、スティーブ・キャップスらとともにスタジオにこもり、海賊旗を掲げてレコーディングを続けていた。

 ヴァン・ヘイレンが「Jump」を含む名作アルバムを出した同じ年、「Macintosh」がリリースされた。サンプリングを多用した、これまでとは次元の違う新たなサウンドは音楽業界だけでなく、カルチャー全体に大きな衝撃を与えた。リドリー・スコット監督によるPVも大きな話題を呼んだ。

 有名な映画監督がPVを撮るという点では、ジョン・ランディス監督によるマイケル・ジャクソン「Thriller」に、わずかに先を越されてしまった。

 しかし、派手で利己的な言動が災いして、デビッド・リー・ロスと時を同じくして、スティーブは脱退を余儀なくされる。レーベルと結託してバンドの主導権を握ろうとしたジョン・スカリーに追い出されてしまったのだ。

 スティーブは脱退後、さらに高品質なサウンドを追求するため、しばらく表舞台から去ることになる。

 スティーブが去ったApple。当初はスティーブが残したデモ曲にカラフルな味付けをして改変した「Macintosh II」などで産業ロックを続けてそれなりに売れていった。スティーブに替わるフロントマンとしてフランスから呼んだジャン・ルイ・ガッセーのエスプリがたっぷりはいった、重厚なサウンドだ。

 しかし、ジョン・スカリーにはリーダーとしての不安があった。「昔の曲をやれ」とか「ボーカルはスティーブのほうがうまかった」「ジーンズが似合わない」「砂糖水でも売ってろ」とかいう声が上がる。これに反発するように、ジョンは「Knowledge Navigator」という壮大なコンセプトを打ち出したが実体化はせず、ノマド層を狙った「Newton」をリリースするが、大コケしてしまう。

 レコーディングに金がかかりすぎたり、ツアーに金を使いすぎたりでバンドの資金はだんだん枯渇。昔のメンバーがどんどん抜けていった。最後にはレコーディング用の経費まで回せなくなった。これではまずいというのでレーベルからスティーブに声がかかる。「戻ってバンドを立て直してくれ。君のバンドだろ?」

 スティーブは自らのバックバンドをそのまま引き連れてAppleに復帰。バックバンドの名前はNeXT。カーネギーメロンの学生を中心としたバカテクのプログレバンドだ。ジョン・ルービンシュタイン、アヴィー・テヴァニアン、ほぼそのメンバーのままAppleにバンド名を変えた。そこからが快進撃のスタート。

 セットリストを絞り込み、演奏時間は短いが、すぐれた曲しかやらない。Newtonとかはその後二度と演奏することはなかった。復帰後の最初のヒットがボンダイブルーの半透明ジャケットで話題を呼んだ「iMac」。数年後には1枚のアルバムに1000曲を詰め込むという前代未聞の「iPod」がそれを上回る世界的なヒットとなり、単なるロックバンドを超える存在となった。

 スティーブはiPodから、iTunesという電子楽器を導入した。これ以降のAppleのアルバムのほとんどに使われることになる、彼らにしか使えないオリジナル楽器だ。ある意味、10cc/Godley & CremeのGismoに近いものだ。

 このiTunes用にサウンドを提供したのが、Pixar。以前のバンマスが離婚問題で資金難になっていたところを救ってあげた経緯から、スティーブが新しいバンマスに祀り上げられた、フュージョンバンドだ。テクニックはあるんだが、ぜんぜん売れない。どうしたもんかと思っていたが、これまで実験的な短い曲しか作ってこなかったが高い評価を受けていたコンポーザーのジョン・ラセターにフルアルバムをまかせるというアイデアが生まれた。

 それがToy Story。Disneyレーベルから配給され、世界的なヒットになる。スティーブはあくまでサイドマンとして楽しむ立場だが、iTunesと連動することで、結果的にAppleの音楽性を広げることになった。

 そして、新世代のSgt. Peppersと言われる「iPhone」。これまでコンセプトアルバムはいくつもあったが、3つのコンセプトを1枚にまとめたものはなかった。そしてそれは成功した。これがその同名タイトル曲だ。

 しかし、スティーブは病魔に襲われる。そのあたりからはみなさんもご存知だろう。これはその体験をテーマにした、彼のソロシングル「Stay Hungry, Stay Foolish」だ。教科書にもでてくるから聴いたことあるんじゃないかな。

 Appleのバンドメンバーはどんどん成長していった。ジョナサン・アイヴ、フィル・シラーは当初からリードボーカルをとれてたし、若いスコット・フォーストールもスティーブに似た声質、パフォーマンスで人気を得るようになった。そして、リズムの重鎮、ティム・クックがいる限りバンドに結束が乱れることはない。もう安心だ。彼も歌える。

 だからスティーブがステージにあがらなくなっても、みんなは安心していい。でも、10年後、20年後には再結成ツアーをこじんまりとしたライブハウスでやってほしい。そのときはライバルバンドのボーカルだったビルとジョイントでやるといいよ。前にも一度ジョイントライブやったことあったろう?

 そのときはサインしてもらえるように、スティーブ時代の代表的なアルバムを持っていこう。iPhone、iPod、MacBook Airあたりかな。128kとかMacintosh Plusとかはやめたほうがいい。「もう書いてあるだろう?」とスティーブは言うはずだ。

 ストーリーはさらに続くはずだった。

 1980年12月9日にジョン・レノンが死んだときには、こんな感じだった。時代を象徴し、まだ牽引する力を持ったヒーローをぼくらは失ったのだ。

 そのころと違うのは、それを即時にみんなで共有する術があるということ。Apple II、Mac、NeXT、そこから生み出されたWorld Wide Web、多くの人がこのニュースを知り、伝え合うことができるiPhone。これらの原動力となったのは、間違いなくスティーブ・ジョブズだ。

 スティーブがレコーディングした最後の作品「iPhone 4S」、別名「iPhone for Steve」。明日予約するつもりだ。もちろん64Gバイトモデル。彼のライブをすべて収録するにも十分だろう。

 そして彼のステージを想像する。

ディスコグラフィ:

 あなたのiPhone、iPod、Mac、その影響を受けた数々のマシンで、スティーブのライブを見ることができる。アルバムの名前は、「Apple Keynotes」。2007年から2011年までの彼のステージが収められている。

 ビル・ゲイツとの貴重なジョイントライブも残されている。これだ

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