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「メガネ男子」その1・メガネという枠夏休み集中連載

» 2012年08月09日 17時00分 公開
[あさみ,ITmedia]

あさみ

某業界の片隅でひっそりと書いている、いろいろと匙を投げた女子。メガネ男子研究をライフワークとする。5月の文学フリマにて同人サークル・久谷女子の有志と合同で同人誌「不機嫌メガネ男子論」を発表(コミックマーケット82・3日目、東T15a「久谷女子」スペースにて委託販売予定)。Twitter:@adonis_fish


 眼鏡を掛けた、男のひとが好きだ。

 そう、はっきりと自覚したのはいつだっただろう。小さいころそれは、もっと個別の「好き」だった。「機動警察パトレイバー」の内海黒崎、「魔女の宅急便」のトンボ、「神林&キリカシリーズ」(杜野亜希)の神林先生(わかるひとはお友達!)。小3のときの隣のクラスの担任(いま思えば「先生!」(河原和音)の伊藤先生にちょっと雰囲気が似ていた)。どこの誰だか知らないけど帰り道でたまに見かけるお兄さん。それぞれの容姿年齢性格はもちろん、彼らの「どこが」「どうして」好きなのか、ということさえもてんでばらばらで、とてもそれらが心の同じ部分に根ざした感情であると認識できなかった。

 中学生のとき「闇の末裔」(松下容子)の同人制作をしながら、主人公の穏やかな同僚・巽征一郎、ハカセキャラの亘理温、陰湿変態な敵役・邑輝一貴という三人三様の、それぞれに「なんか好き」な3人を見比べるうちに、これひょっとして重要なのは眼鏡ではないか、と意識したのが最初だっただろうか。でも、そうして自覚した「好き」の正体はいかにも曖昧で、眼鏡そのものが好きなのか、好みのタイプがたまたま眼鏡を掛けているだけなのか、どちらでもあるような、どちらでもないような。突然目の前に差し出された、思いのほか複雑な自身の嗜好に、少しだけ戸惑った、ような気もする。

 それからというもの、なんとなく目のはしで眼鏡を掛けた男のひと、世にいう「メガネ男子」たちを追いかけ続けて、今に至っている僕です。以後お見知りおきを。

photo 画・シコタホA

内面のありかと、外界との遮断を示す「メガネ」

 僕自身はそんな体たらくだったのだけれど、世の中にはちゃんと「わかってらっしゃる」先達がいらして、漫画やアニメにおける「男性メガネキャラ」を分類考察する優れた先行研究がいくつか展開されている。そこで指摘されているのは、メガネ男子の眼鏡とはたんなる外見上の特徴ではなく、内面までひっくるめた“キャラクター”の一部であり、不可分の存在である、ということだ。

 創作物のキャラクターの場合、外見と内面の結び付きが現実のそれよりも密接だ。当たり前だけど活発なひとは活発そうに、内気なひとは内気そうに。表情だけでなく髪型や服装(制服などは別として)、身に付ける小物にいたるまで「彼/彼女はどんな人物か」を表現するためにデザインされる。仮にギャップがあったとしても、そこには「一見○○だけど実は○○」という意図がある。もちろん眼鏡もその人の性格、性質を表すアイテムのひとつと考えられる。じゃあ、眼鏡を掛けていそうな男子って、なんだ。

 もっともシンプルな眼鏡は、手塚治虫漫画に登場する博士たちのそれだろう。(作品によって身に付けていないこともあるが)彼らの眼鏡はおおむね知性的であること、年長であることのシンボルとして描かれている。眼鏡があくまで視力を補うものである、という点を前提にすれば、勉学に長けていることとは関係ないはずなのだけれど、ハカセといえばたくさん本を読んでいるだろう、当然目も悪くなるだろう、という連想が比較的容易に働くからか。

 さまざまな作品で描かれて「知的→眼鏡」という図式はすっかり定着し、やがて矢印はイコールに変わって、こんにち僕たちは眼鏡といえば「頭が良い、知識が豊富、理性的」などのイメージをまず抱く。眼鏡がほんらい視力矯正器具であることはもちろん知りながら。この「眼鏡を掛けた知的な男子」というテンプレートが、メガネ男子のベースである。もともと実存によらない、きわめて類型的な存在なのだ。

 しかし常人と異なる知性を備えた彼らは、つまり常人にない能力を持ち、常人ならしないような行動を取ってしまうわけで、ストーリーの牽引役として物語世界ではとても重宝だ。そこで「知性」という基本属性を手がかりにお話の中でさまざまな解釈、肉付けが施されて、じつに多様な「メガネ男子」が現れた。周囲を慮って自分を抑える優等生、周りになじめない一匹狼、価値観が常人と決定的にずれてしまったハカセくん、正当な評価をくれないと世間に恨みを募らせるテロリスト、名声には興味ないけどなんか楽しいから世の中を手玉に取ってみたくなるトリックスター。

 彼らに共通しているのは、内部で処理される情報量と出力が見合っていないこと。彼らが何を考えているかはなかなか周囲に伝わらない、あるいは1周も2周も回った形でしか自分を表現できない。眼鏡の内に他人が容易に触れることのできないもうひとつの世界を抱えている、それがメガネ男子だ。眼鏡は彼らの深奥なる内面世界の存在を示唆すると同時に、それを外界から隔てる開かずの扉だ。

 もちろん、その枠に収まらないメガネだって過去から現在に至るまでたくさん描かれているはずだけれど、僕らが「眼鏡を掛けているべきはまさにこのような人物だ」と歓迎し、愛好したのは、知性が邪魔をして真っ当に生きることに困難を抱えてしまった彼らのような存在だったのだと思う。

 それ以外の、例えば単に年かさであることの表現として眼鏡を与えられたキャラクター(モブキャラに多い)は、あくまでも「眼鏡をかけた男性キャラ」であって、メガネ男子と呼ぶことはできない。メガネキャラとして世間一般に知名度が高い勉三さん(「キテレツ大百科」)やのび太(「ドラえもん」)だが、彼らの眼鏡は「単純、平凡」のあらわれという意味合いが強く、僕としてはあまりメガネ男子性を感じない(興味深いことに、女子の場合はこの冴えないメガネが萌え対象として健在。「魔法少女まどか☆マギカ」の、病弱で引っ込み思案だったころのほむらが眼鏡を掛けていたことは記憶に新しい)。

 むしろ界隈で「あれは眼鏡型をしたアイテムあって眼鏡じゃないから」と冷遇されている遠野志貴(「月姫」)のほうが、実はメガネ男子的ではないか。普段は眼鏡によって発動を抑えられている特殊な能力(直死の魔眼)が、彼の内面世界の一部を構成していると考えることができるから。名探偵のほうのコナンくんが、工藤新一から江戸川コナンに変わってはじめて眼鏡(型のなにか)を装着するというのは、なかなかに示唆的である。

 ここまででメガネ男子とはほんらい創作物のキャラクターの限られたテンプレ、及びそのバリエーションである、ということはお判りいただけたと思う。このテンプレがやがて3次元に持ち込まれ、新たな展開を呼ぶことになるのだけれど、それはまた別の機会に。

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