ITmedia NEWS > 社会とIT >

飯野賢治さん死去 改めていくつかの文章を読む

» 2013年02月22日 11時00分 公開
[小林伸也,ITmedia]

 「Dの食卓」などで知られたゲームクリエイター、飯野賢治さんが2月20日に死去した。42歳だった。

photo

 飯野さんのTwitterアカウント(@kenjieno)のツイートは17日が最後。最近ボストンのマサチューセッツ工科大学を訪れたようだ。

 ネットには早すぎる死を惜しむ声があふれている。「この人のゲームは嫌いだが」としつつ悼む人も多く、嫌いでも認めざるを得ない飯野さんのインパクトの強さを改めて思い起こさせる。飯野さんが最も活躍した90年代後半はゲームとゲーム業界に不思議な勢いのある時期だった。

 飯野さんが昨年書いた「お客さんを増やすツイッターのつぶやき方とは」という文章(「プレジデント」掲載)では、

 「企業アカウントでも個人ユーザーでも、いろんなことを気にしすぎてガチガチになり魅力的なツイートができなくなるほうがバッドなので、『こうすべき』なんて気にしないのが一番だと思います。そうでなければわざわざツイッターなんてやる意味がありません」

 「重要なのはフォロワーの数を競うことより、フォロワーとの関係性をどう築いていくかのほうです。要は『愛される人』にならないとダメなんです」

──とアドバイス。

 「『こうすべき』なんて決まりはないのだから、ツイッターをやるのなら新しいコミュニケーションの形を模索してほしい。模索する姿こそが面白く、顧客とつながる力にもなるでしょう」

 という最後の締めはどこか飯野さんらしい。

 2011年3月、東日本大震災と福島第1原子力発電所の事故を受けてブログに掲載された「息子へ。」から始まる文章では、原発をめぐる飯野さんの考えとともに「パパはね、日本が変わるタイミングだと思っているんだ。日本は変わる。やっと大人になる。本当の民主主義が、やってくると思っているんだ。お前を含めて、みんながいま、考えれば」などとつづり、多くの共感を呼んだ。

 YouTubeには飯野さんが制作した楽曲などを公開するチャンネルもある。親交のあった坂本龍一さんやYMOのカバーなどを楽しみながら作っていた様子が伝わる。たまに2ちゃんねるに現れ、きさくに2ちゃんねらーと交流していた。

 @itmedia_newsからの情報にコメント付きでRTしていただいたこともありました。ご冥福をお祈りします。

Copyright © ITmedia, Inc. All Rights Reserved.