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シャープの東芝PC事業買収に見え隠れするホンハイの意志(2/3 ページ)

» 2018年06月25日 16時38分 公開
[本田雅一ITmedia]

 そもそも、東芝ブランドのPCは海外での大ヒットを通じ、日本市場に逆輸入されてきた経緯がある。80年代に北米市場においてオフィスでの利用が広がったIBM PCと互換性の高い独自のコンパクトなPCを開発。ラップトップというジャンルを確立し、その後の“ノートブック”へとつなげていった。

 途中、フロッピーディスクドライブの不具合を通じた米集団訴訟で大きな損失を出すなど、決して平たんではなかった同社のPC事業だが、少なくとも15年の不正会計が発覚するまでは、現在ほどの危機的状況は表向き見られなかった。

 しかし、ずっとPC業界ばかりを取材していた当時の筆者は、03年ぐらいからだろうか、「なぜ東芝がそれほどグローバルで上位にいるのか」を理解できない状況が続いていた。もちろん、表向きの数字は悪くない。しっかりと稼げる中核製品向けサブブランドを持ち、ハイエンド向けブランドもしっかりと差別化され、また開発者のモチベーションを刺激する挑戦的なプロダクトもあった。

 グループ内の半導体技術やデジタル映像技術を活用し、コンシューマー向けにAV機能を高めたノートPCにも取り組み、こちらも表向きは事業が好調だとされていた(実際、好調な時期もあったのだろう)が、やはり釈然としない気持ちが拭えなかった。それは感覚的なものもあったが、彼らが新製品を発表する際の堂々としたPC事業領域における強さを誇るプレゼンテーションの内容(いわば自己評価)と、業界全体における東芝製PCの位置関係が合っていないように思うところがあったからだ。

 東芝製PCの強みとはグローバルでの企業向け製品の強さを生かし、そのスケールメリットにより独自性の高い製品を開発していたところにあった。例えば省電力管理。かつては独自チップを使って機能を追加し、その後も電源用チップに独自技術を盛り込み、Microsoftなどとも協力してバッテリー駆動時間を延ばすなど、他社とは異なる機能を実現する凝ったアプローチを展開していた。

 しかし、そうした独自性を生かした開発ができたのはノートPCでトップシェアを誇っていたからだ。トップシェアを突っ走った7年間、PC業界ではコンパックショック(94年に米Compaqが日本上陸。国内PCメーカーも高価な独自アーキテクチャからDOS/V機への転換が進んだ)による大幅な価格下落、Dellによるダイレクト販売の浸透といった出来事があった。ノートPCジャンルにおいても、その影響は現れ始めていた。

 Intelが自社プロセッサの優位性を生かすため、ノートPCの生産委託を受けていた台湾企業や新興の中国メーカーに省電力技術の移転を積極的に行い、03年に「Centrino」というサブブランドを立ち上げたことも大きな影響があった。電気設計だけでなく、省電力管理や熱処理といったノウハウまでを技術移転することで、ノートPCの性能、可搬性は一気に高まった。手頃な価格も実現できたことで、“個人が使う生産性ツール”としてのPCの利用は広がったものの、メーカー間の機能差、性能差は小さくなっていった。

 04年末にIBMはビジネス向けノートPCブランドとして確立されていたThinkPadの事業をレノボに売却したが、実は03年ごろから売却を進めていたとされる。大企業が独自の技術でノートPCの差異化を積極的に推し進められる時代は、この頃すでに終わっていたのかもしれない。

 その後、少しずつ生じていった“ほころび”が、継続的にPC事業を取材していた記者たちが共通で感じていたであろう違和感だったのではないか。15年不正会計の内容が明らかになるにつれ、「そういうことか」と膝を打った記者やライターも少なくないと思う。

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