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mF247の丸山茂雄さんが考えた「焼きそば屋的Web2.0ビジネス」(上)ネットベンチャー3.0【第8回】(1/2 ページ)

» 2006年09月15日 12時30分 公開
[佐々木俊尚,ITmedia]

 「僕がやりたいのは、肥大化した『真ん中』をもう1回ひっくり返して、新たなモデルを作ろうということだ」

 音楽配信サイトmusic forecast 247(mF247)を立ち上げた元ソニー・ミュージックエンタテインメント(SME)社長の丸山茂雄さん(65歳)は、私の取材にそう言った。

「mF247」 「mF247」

 2005年12月にスタートしたmF247は、楽曲のダウンロードがすべて無料になっている。DRMなどのコピープロテクトも行われていないため、CD-R、携帯音楽プレーヤーなどへのコピーも自由にできる。一方、ミュージシャンの側は、自分の楽曲をmF247に登録する際、審査が必要で、合格すると登録料1曲1万円(2曲目は1曲1000円で、合計3曲までが登録可能)が必要になる。つまりミュージシャンがカネを払って、利用者は無料で聴けるという逆転的システムだ。音楽業界が一部のメガヒットにばかり集中していってしまっている中で、知られていない良い曲をどのようにすれば多くの人に聴いてもらえるのか――そんな問題を解決するために、考え出されたシステムといえる。

 なぜmF247というサイトが登場してきたのか。その背景には、Web2.0の潮流と丸山さんという経営者自身の歩んできた道のり――ふたつの流れが交錯している。

ライブハウスに注目したEPICソニーの成功

 丸山さんは1941年生まれである。66年に早稲田大学商学部を卒業し、読売広告社を経て68年にCBSソニーレコード(現ソニー・ミュージックエンタテインメント)に入社した。

 「音楽業界は当時すでにもう硬直を始めていて、テレビドラマのタイアップなどを仕掛けなければ売れないと言われていた。リスナーの間でクチコミで広がって売れ始めるなんていう曲は、ほとんど出てこなくなっていた。そうなると新しい曲を売り出すためにはタイアップに走るしかなく、そしてタイアップを取り仕切っているのは大手レコード会社やテレビ局、広告代理店といった『真ん中』を押さえている人たちだ。この『真ん中』の人の協力を得ない限り、音楽を世に出すことができない――そういう時代になってしまった」

 それに対するアンチテーゼが、EPICソニーレコードだったという。1978年に設立されたこの子会社で、丸山さんは徹底的なライブハウス戦略を採った。ライブハウスを主要な媒体と位置づけ、若いミュージシャンたちを売り出したのである。

 「ラジオの聴取率1%が30万人と言われていて、少しでも視聴率、聴取率を上げようというのがごく当たり前の戦略だったけれど、僕はライブハウスにこだわった。わずか20人、30人の聴衆でもいいから人々を惹きつけることができえれば、きっとその20人、30人が次は40人、50人を連れてきてくれるだろうと堅く思いこむことにしたんだ」

 その戦略は成功し、1980年代にEPICは若者の音楽のシンボルとなった。80年代のEPICのヒット曲を集めた2枚のコンピレーションアルバム、『EPIC 25 1980〜1985』『EPIC 25 1986〜1990』の曲目を見ていただければわかるが、佐野元春や岡村靖幸、大沢誉志幸、ドリームズ・カム・トゥルーなど、当時の若者を熱狂させたミュージシャンの多くが、EPICから輩出したのである。

 「テレビやラジオに頼らなくても、音楽を世に出すことができる。それが実証できたんだ。嬉しかったね」

 レコード会社というのは、ミュージシャンにとっては単なるエージェンシーではない。音楽というコンテンツを世の中に送り出すための、巨大なコンテナー(媒体)だった。たとえば出版社であれば、<作家―編集―印刷―書店>というプロセスはすべて分離されていて、出版社が影響力を及ぼすことができるのは作家と編集のプロセスだけである。印刷は別会社でさまざまな競争が行われているし、書店については取次と呼ばれる企業が事実上支配している。だが黒い円盤のレコードが主力だった時代、レコード会社はレコードを製造する工場を自社で所有し、レコード販売店とも直接契約していた。その間の物流も含めて、すべてひっくるめてレコード産業の上流から下流までを、レコード会社で面倒を見ていたのである。つまりはテレビ局と同じように、コンテナー(媒体)すべてを支配する巨大なメディア産業だったのだ。

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