ノーベル賞学者がiPS細胞を見つけ出した集中力の源泉は?トップ1%だけが実践している集中力メソッド(1/2 ページ)

子どもを持つ親なら、わが子を山中教授のような学者にしたいと思うかもしれません。では実際に、山中教授が研究分野で成果を出す源になった幼少期の経験とは何だったのでしょうか?

» 2013年12月04日 11時00分 公開
[永田豊志,Business Media 誠]

 ニュースで何度も取り上げられているので、知っている読者も多いかと思いますが、iPS細胞は、さまざま細胞に分化できる万能細胞の一種です。皮膚などから採取した体細胞の「時計をリセット」することで、未分化な状態へ戻す「初期化」を可能とする画期的な発明です。

細胞の時計をリセットする

 従来、同様の目的で作られたものにES細胞があります。しかしES細胞は受精卵が分化した胚細胞を使うため、受精卵を壊すことになるという倫理的な問題がありました。そうした意味では自分の体細胞から幹細胞を作るiPS細胞は問題ありません。人間は200以上の種類の細胞から構成されていますが、元をたどればオリジナルは1種だけ。そこから、自分の皮膚などからその大元になる細胞が作れれば、拒絶反応のない幹細胞、網膜、筋肉、神経などを作れます。日本では、パーキンソン病、加齢黄斑変性、心不全、脊髄損傷など病気でiPS細胞を使った臨床実験が計画されています。

 2012年、iPS細胞の研究で京都大学の山中伸弥教授が日本人としては2人目のノーベル生理学・医学賞を受賞しました。

世紀の発見を生み出した幼年期の経験はなにか?

 子どもを持つ親なら、誰でも山中教授のような功績を残す学者になるというのは理想の姿かもしれません。しかし実際に山中教授が、研究分野で成果を出す源になった幼少期の経験とは何だったのでしょうか?

 山中伸弥教授は、大阪の町工場の長男として生まれました。彼の父親はミシンの部品工場を営んでいたのです。山中少年の目の前で、父親は華麗なるテクニックでミシンの部品を作り上げていきました。幼いころの山中少年は、それに大変魅了されました。

 小学校にあがった山中少年は、家のあらゆるものを分解することに熱中しました。時計、ラジオ、あらゆるものを分解し、そして、時折、復元できませんでした。さらに、実験好きの山中少年は、ある日、アルコールランプをひっくり返してコタツを火の海にしてしまい、大目玉を食らったこともあるそうです。工場の経営は厳しく、親にかまってもらうことは少なかったにもかかわらず、7歳年上の姉と一緒に、率先して勉強し、算数と理科が得意で成績も抜群。人生で始めて書いた論文は、中学生の時に書いた自由研究。テーマは「人の記憶能力について」というものでした。

 ちなみに高校、大学と名門公立校に進学しましたが、柔道、ラグビーとスポーツにも打ち込みました。仲間うちからは、勉強だけでなくスポーツも抜群で目立った存在だったといいます。自発的に勉強やスポーツに打ち込み、両立させる。山中少年はモンテッソーリ出身者ではないものの、ガラクタの分解に熱中するなど自ら1つのことに没頭する経験を小学校のころから重ねていた点で、非常にモンテッソーリに近い習慣を身に付けていたと想像されます。

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