三江線廃止問題は、鉄道事業の「選択と集中」が引き起こした杉山淳一の「週刊鉄道経済」(2/5 ページ)

» 2015年10月23日 08時00分 公開
[杉山淳一ITmedia]

三江線はどんな路線か

 三江線について、一部報道では「国鉄がJRになって以降、本州で100キロメートル以上の路線廃止は初めて」と伝えている。マスコミお得意の「こじつけ1番」「こじつけ初めて」の言い回しには呆れる。JR北海道が廃止した深名線、天北線、池北線などは100キロメートル以上だった。そして距離はこの問題の本質ではない。

 三江線の危機については、3年前に本コラムの前身「時事日想:地方鉄道が、バスやトラックに負ける日」にて、既に紹介している。三江線の歴史や現況も含めて詳しくはこの記事を参照していただきたい。ざっくりまとめると……、

  • 陰陽連絡線として計画されたが完成が遅く、既に自動車が普及していた
  • 落石危険のため時速30キロメートル以下、豪雨時は時速15キロメートル以下の速度
  • 国鉄赤字の時に廃止論議があった。しかし道路未整備で救われた
  • 現在は道路が整備されており、むしろ道路側に人家が多い
  • 増発実験をバスで実施している。バス代行実験のようだ

……となる。

三江線がどんな路線かはこちらで詳しく書かせていただいた。「時事日想:地方鉄道が、バスやトラックに負ける日」 三江線がどんな路線かはこちらで詳しく書かせていただいた。「時事日想:地方鉄道が、バスやトラックに負ける日」

 この記事から3年経ったので補足すると、増発実験は2012年10月から12月まで2カ月間実施された。運行本数を1.7倍に増やしたものの、乗客は1.3倍増にとどまった。もっとも乗客が多かったバス便は、1日平均9.7人が乗車した。最も少なかった便は1日平均ゼロ。これは12月に増発された便で、2人しか乗らなかった。

 この実験は開始当初から利用者数が思わしくなかったようで、12月には増便のほか、停留所の追加も実施した。江津〜江津本町駅間に「江津市役所前」、石見川本〜木路原駅間に「中新町」、明塚〜粕淵駅間に「相生町」の3つだ。こうなると、ますます代行バス試験運行の様相である。そして結果的に、バスでも赤字になりそうな乗客数だった。

 三江線はこの翌年に災害不通という事態となった。2013年8月1日〜11日まで、豪雨による土砂流入で石見川本駅〜浜原駅間不通。さらに24日には橋脚流出を含めて72カ所が被災し、全線不通となった。浜原〜三次間は約1週間で復旧できたものの、残りの区間は約11カ月を要し、2014年7月にようやく全線再開となった。復旧費用は約10億8000万円。負担割合はJR西日本が約6億円、島根県が約4億8000万円だったという。

 前掲のコラムでは2006年の豪雨災害に触れている。このときの復旧費用は約15億円だった。そんなにおカネをかけて復旧させた路線を廃止とはもったいない。2012年の社会実験で結論は出たも同然だから、2013年の復旧検討の場合は、同様の費用をかけて、バス転換や、線路をBRT(バス・ラピッド・トランジット)に改造するという知見もあっただろう。

 しかし、このときは復旧が決まった。なぜなら、災害復旧については国の負担を求める方法があるからだ。島根県の負担分については公共土木施設災害復旧事業費国庫負担法があり、JR西日本の負担分については災害復旧事業費補助金制度がある(関連リンク)。結局は国の負担が大きく、回り回って国民の負担と言える。そして、バス転換やBRTへの改築となれば、この補助制度は認められない。

 鉄道を残したい地元自治体は安堵したはずだ。国の負担は全額ではない。事例ごとに案分される。JR西日本も復旧に向けて相当額を投資している。それをムダにするような「廃止」はないだろう。その楽観が、地元自治体の慢心を招いたかもしれない。

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