北陸新幹線延伸ルートは「JR西日本案」が正解杉山淳一の「週刊鉄道経済」(2/5 ページ)

» 2016年03月11日 08時00分 公開
[杉山淳一ITmedia]

3案から5案、そして3案へ

 北陸新幹線の敦賀〜大阪間のルートは、1973年に国が定めた新幹線整備計画において、北陸新幹線は東京〜大阪間で「長野市付近、富山市付近、小浜市付近を経由する」と明記されている。それが国益に沿うと判断されたからだ。しかし、この原則に反するルートがわき起こった。そのきっかけは1999年5月のJR西日本社長発言だ。「建設費を考慮すると米原接続が現実的」という。

1973年に国が定めた新幹線整備計画のルート。小浜ルートは福井県知事の強い要望があったとされる。当時、小浜は大飯原子力発電所の建設に反対する声が高まっていたという。ただし、大飯原発の設置自体は地元からむしろ歓迎されていた。建設反対運動の高まりは1971年に関西電力と大飯町の極秘協定が発覚してからだ。関西電力の地域振興協定と原子力安全協定によって反対運動は3カ月で終息した。ただし、翌年より再び原発反対の気運が高まり、小浜ルート決定後の1976年も続いている。小浜ルート決定が原子力発電所建設の振興策だとしたら、その効果は大きくなかったと言える 1973年に国が定めた新幹線整備計画のルート。小浜ルートは福井県知事の強い要望があったとされる。当時、小浜は大飯原子力発電所の建設に反対する声が高まっていたという。ただし、大飯原発の設置自体は地元からむしろ歓迎されていた。建設反対運動の高まりは1971年に関西電力と大飯町の極秘協定が発覚してからだ。関西電力の地域振興協定と原子力安全協定によって反対運動は3カ月で終息した。ただし、翌年より再び原発反対の気運が高まり、小浜ルート決定後の1976年も続いている。小浜ルート決定が原子力発電所建設の振興策だとしたら、その効果は大きくなかったと言える

 JR西日本は運営主体予定者である。国鉄からJRに経営形態が変わった。高コストで建設されると、線路使用料の負担が大きくなる。その発言は説得力があった。そして1999年という時期にも注目だ。バブル経済が崩壊し、日本の1990年代は景気後退の沼の中だ。後に「失われた20年」と呼ばれる時期であった。

1999年にJR西日本が提案した米原ルート。1970年に制定された全国新幹線鉄道整備法ではこちらのルートだった。しかし1973年の新幹線整備計画で小浜ルートに変更されている。JR西日本が再提案した理由は、工期短縮と建設費用圧縮だった。米原〜新大阪間は東海道新幹線への乗り入れが前提で、JR東海、JR西日本とも否定的だ。1973年の整備新幹線ルートから外れたとはいえ、北陸・中京新幹線として基本計画に組み込まれた 1999年にJR西日本が提案した米原ルート。1970年に制定された全国新幹線鉄道整備法ではこちらのルートだった。しかし1973年の新幹線整備計画で小浜ルートに変更されている。JR西日本が再提案した理由は、工期短縮と建設費用圧縮だった。米原〜新大阪間は東海道新幹線への乗り入れが前提で、JR東海、JR西日本とも否定的だ。1973年の整備新幹線ルートから外れたとはいえ、北陸・中京新幹線として基本計画に組み込まれた

 深刻な経済不況の中で、高コストな整備計画の基本ルートは揺らいだ。その結果として、2013年に「若狭湾沿いの小浜市付近を経由して大阪に至るルート(小浜ルート)」だけではなく、「琵琶湖の西を経由して京都に至るルート(湖西ルート)」、「琵琶湖の東を経由して米原に至るルート(米原ルート)」の3案が政府与党のプロジェクトチームで検討されている。

 以前のコラムでこの話題に触れた(関連記事)。その中で私は「国は国土の将来を見据えて、小浜ルートの整備に着手すべきだ」と結論を述べた。この考えは今も揺るぎない。

 あれから3年。北陸新幹線ルートはさらに混乱している。その遠因は「東海道新幹線の二重化」という役割が薄れたからでもある。JR東海が独自にリニア中央新幹線を着工し、大阪延伸も視野に入った今となっては、「東海道新幹線の二重化」の意義も小さい。北陸新幹線は、北陸地域と東京・大阪を結ぶ意味合いが強くなった。

 その結果、さらに2つのルートが提案され、5ルートになった。政府与党のプロジェクトチームは5月をめどに3案に絞り、年内に決着させたいという。3年経っても選択肢の数が変わらないという状況に呆れる。

2013年の政府与党検討プロジェクトが候補とした湖西ルート。2009年時点では敦賀からフリーゲージトレインで湖西線に乗り入れるルートとして議論された。しかし、2013年の候補時点でフル規格による建設、京都から東海道新幹線乗り入れ案に変わっている。ただし湖西線は「比良おろし」と呼ばれる突風の影響で運休が多いという指摘もある。フリーゲージ案は現在も北陸新幹線大阪開業までの暫定策として検討されている 2013年の政府与党検討プロジェクトが候補とした湖西ルート。2009年時点では敦賀からフリーゲージトレインで湖西線に乗り入れるルートとして議論された。しかし、2013年の候補時点でフル規格による建設、京都から東海道新幹線乗り入れ案に変わっている。ただし湖西線は「比良おろし」と呼ばれる突風の影響で運休が多いという指摘もある。フリーゲージ案は現在も北陸新幹線大阪開業までの暫定策として検討されている

 ただし、新たなルートとしてJR西日本が提案する「小浜〜京都〜大阪」ルートは、小浜ルートの改良案として評価したい。もう1つの「舞鶴〜京都〜関空」ルートは、北陸新幹線ルートとしては話にならない。

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