北陸新幹線の敦賀〜大阪間のルートは、1973年に国が定めた新幹線整備計画において、北陸新幹線は東京〜大阪間で「長野市付近、富山市付近、小浜市付近を経由する」と明記されている。それが国益に沿うと判断されたからだ。しかし、この原則に反するルートがわき起こった。そのきっかけは1999年5月のJR西日本社長発言だ。「建設費を考慮すると米原接続が現実的」という。
JR西日本は運営主体予定者である。国鉄からJRに経営形態が変わった。高コストで建設されると、線路使用料の負担が大きくなる。その発言は説得力があった。そして1999年という時期にも注目だ。バブル経済が崩壊し、日本の1990年代は景気後退の沼の中だ。後に「失われた20年」と呼ばれる時期であった。
深刻な経済不況の中で、高コストな整備計画の基本ルートは揺らいだ。その結果として、2013年に「若狭湾沿いの小浜市付近を経由して大阪に至るルート(小浜ルート)」だけではなく、「琵琶湖の西を経由して京都に至るルート(湖西ルート)」、「琵琶湖の東を経由して米原に至るルート(米原ルート)」の3案が政府与党のプロジェクトチームで検討されている。
以前のコラムでこの話題に触れた(関連記事)。その中で私は「国は国土の将来を見据えて、小浜ルートの整備に着手すべきだ」と結論を述べた。この考えは今も揺るぎない。
あれから3年。北陸新幹線ルートはさらに混乱している。その遠因は「東海道新幹線の二重化」という役割が薄れたからでもある。JR東海が独自にリニア中央新幹線を着工し、大阪延伸も視野に入った今となっては、「東海道新幹線の二重化」の意義も小さい。北陸新幹線は、北陸地域と東京・大阪を結ぶ意味合いが強くなった。
その結果、さらに2つのルートが提案され、5ルートになった。政府与党のプロジェクトチームは5月をめどに3案に絞り、年内に決着させたいという。3年経っても選択肢の数が変わらないという状況に呆れる。
ただし、新たなルートとしてJR西日本が提案する「小浜〜京都〜大阪」ルートは、小浜ルートの改良案として評価したい。もう1つの「舞鶴〜京都〜関空」ルートは、北陸新幹線ルートとしては話にならない。
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