小田原エリアを流れる酒匂川はたびたびの氾濫で人々を悩ませていましたが、流木が手に入りました。尊徳は薪を拾っては、高値で売るため、川のない中心街まで行商しました。当時、ご飯を炊くにも、何をするにも生活の燃料となるのは薪でした。このときまだ尊徳は10歳ですから、子どものころからビジネスマンとしての異才を放っています。
子どもながらお小遣い稼ぎの域を超える、立派な薪ビジネスで成功を収めた尊徳。次に始めたのは「農業ビジネス」です。
当時は、荒れ地を開墾した場合、5年間は非課税でした。これに目を付けた尊徳は道ばたなどに捨てられていた苗を拾い、荒地を開墾してそれを植えました。すると、秋には一俵の籾(もみ)が収穫できるほどになったそうです。果たしてどんな工夫をしたのか分かりませんが、かなりの農業オタクだったことは間違いないでしょう。
尊徳が優れているのは、自分で開墾していくだけでなく、開墾を仕組み化していったことです。土地を購入しては、小作人に貸して開墾させて、小作料を得ながら収入を増やしていきました。それを元手にまた土地を買い、さらに土地を貸して開墾を進めていきます。何と最終的に土地は東京ドーム1個分ほどの広さになったそうです。水田オーナーとして、地元でも1番の大地主となりました。
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