成熟したために衰退しつつあったゲーム業界の閉塞(へいそく)感の中で、事前の市場調査をすることなく、自らの心の中にある本当に大切なことに耳を傾け、コンセプトをまとめ、プレゼンによって仲間の共感を得ました。過去の慣習にとらわれず、コンセプトのみから仕様を作り上げ、発売後ですらコンセプトを守る。
今となれば「コンセプトが芯を食っている」ことを知っていますが、当時はそのコンセプトが正解であるかどうかの確証はどこにもありません。そんな強烈な不安の中でも、岩田さんが前に進み続けた理由は何でしょう?
それはまさに「自分はゲームが好きだ」という心の根っこにある大切な思いであり、皆がゲームを好きになる世界を作るためには、どんなリスクもいとわないという態度であったと思います。
だからこそ、岩田さんにとって、Wiiというプロダクトの開発は「自分の存在理由をかけた戦い」であったのです。Wii発売後に社会で起きた無数の驚くべき現象、例えば、老人ホームでWiiが流行っているというニュースを話すときの岩田さんは、震えるほどに(実際少し震えていたのではないかと思うのですが)嬉しそうだったことを思い出します。
私個人も、Wii発売後、地元の青森県八戸市に帰省したとき、本家に集まった従兄弟がWiiのボウリングで盛り上がる様子を見ながら、何かが心に込み上げてきて、「すべてが報われる」としか表現できないような感情を経験しました。
一方で、そんな状況を冷静に観察する自分は、こうも感じていました。自分の存在理由をかけた仕事しかできない身体になってしまった、と。
だからこそ、私はその後、任天堂を退職し、地元に戻ったのでした。私はWiiを企画すると同時に、私自身の人生はWiiによって決定的に変えられました。
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