鶴松の死を嘆く豊臣秀吉だが、実は3人目の子どもだった!?「真田丸」を100倍楽しむ小話(2/2 ページ)

» 2016年07月09日 08時30分 公開
[ITmedia]
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小日向: こうしてみると、秀吉は「秀勝」という名前にやたら思い入れがありますよね。だからこそ最初の子どもの名前だったのではないでしょうか。ロマンを感じてしまいます。

大阪城内の豊國神社にある秀吉の銅像 大阪城内の豊國神社にある秀吉の銅像

編集部F: そして前回放送の最後に、後の豊臣秀頼となるお拾が生まれました。鶴松が「棄(すて)」だったのに対して、「拾(ひろい)」としたわけですが、なかなかシャレているなと思います。

 ただ、お拾が生まれたことで、ここから豊臣家が一気に崩壊に向かって突き進んでいくわけですね。

小日向: その一連の騒動の口火を切るのが、次回(明日)の放送でピックアップされる秀次です。秀次については、ぜひ来週のこの連載で語りましょう。

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