多くの人に尊敬されていた、大横綱・千代の富士が残した“遺言”赤坂8丁目発 スポーツ246(1/4 ページ)

» 2016年08月02日 11時44分 公開
[臼北信行ITmedia]

 巨星堕つ――。

 大相撲の第58代横綱で元千代の富士の九重親方が7月31日、すい臓がんのため息を引き取った。身長183センチ、体重120キロ台の小兵ながらも筋骨隆々で、しかも「イケメン」。昭和50年代後半、そんな現役時代の横綱・千代の富士に胸を躍らせた人は相撲ファンならずとも多いはずだ。

 左前褌(ひだりまえみつ)を取ってからの速攻相撲を得意とする激しい攻めで自分よりも大きな体格の力士たちを次々となぎ倒す。凄(すさ)まじい眼光で相手を睨む姿から「ウルフ」の愛称が付けられ、その惚れ惚れするような格好良さには女性だけでなく多くの男性も憧れた。

 歴代2位の通算1045勝、そして53連勝と幕内優勝31回は歴代3位。こうした数々の記録と偉業を成し遂げた功績が大きく評価されて1989年、相撲界としては初の国民栄誉賞受賞者となった。筆者のような昭和世代であれば、改めてこの「昭和最後の大横綱」の経歴を振り返るまでもあるまい。しかし平成世代には横綱千代の富士の取り口をリアルタイムで目にできず、どれだけ強い力士であったかを知らない人たちがおそらく大半だと思う。

 とにかく努力を怠らない力士だった。1975年9月場所にはスピード出世で新入幕を果たしたものの、その後は定着できずに十両どころか幕下まで一気に陥落。力士生命を脅かす両肩の脱臼癖が深刻化し始めたのは当時のことであった。

 もともと人間の肩関節の形成部分には肩甲骨と上腕骨の表面にクッションの働きをする軟骨がある。しかしながら千代の富士の肩関節は噛み合わせが悪く軟骨も薄いことから脱臼を引き起こしやすかった。並の人間ならば、ここであっさり諦めても不思議はない大きな挫折。しかし千代の富士は負けなかった。克服するため、当時の相撲界としては馴染みの薄かった筋力トレーニングをいち早く取り入れて肉体改造に着手。腕立て伏せも毎日500回以上、繰り返し行った。

大相撲の第58代横綱で元千代の富士の九重親方が息を引き取った(出典:Wikipedia)
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