起業家、楽天「三木谷浩史」はいかにして生まれたか「問題児 三木谷浩史の育ち方」

» 2018年02月19日 11時00分 公開
[濱口翔太郎ITmedia]
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 EC(インターネット通販)サイト「楽天市場」を運営するほか、携帯電話事業参入や米Walmartとの提携を発表するなど、新施策を相次いで打ち出している楽天。今や“EC界の巨人”に成長した同社を創業し、現在も会長兼社長を務めるのが、言わずと知れた三木谷浩史氏だ。

 一橋大学を卒業後、日本興業銀行(当時)に入行。社費で米ハーバード大学に留学し、MBA(経営学修士)を取得――。華々しい経歴を誇る三木谷氏だが、作家・大学教員の山川健一氏の著書「問題児 三木谷浩史の育ち方」によると、かつては小学校時代から通信簿では5段階評価で2と3が並び、中学で煙草を覚えた不良少年だった。

 三木谷氏はいかにして立ち直り、起業家精神を身に着けたのだろうか。同書によると、経済学者の父・良一氏と、戦国武将、本多忠勝の末裔(まつえい)であった母・節子氏の教育によるところが大きいという。

photo 「問題児 三木谷浩史の育ち方」

 両親は三木谷氏の成績が悪くても叱らず、良い面を見いだしてほめた。例えば、小学校の授業参観で「つるかめ算」の演習をした際、浩史少年は公式を使わず“手計算”で板書。正解したものの、教師から無視された。同書によると、それを見た父親は「この子は自分の頭で物事を考える子で、イノベーション力がある」と感じたそうだ。

 母親も「馬を水辺に連れていくことはできるが、無理やり水を飲ませることはできない」との考えを持つ人。浩史氏が私立中学を退学し、公立中学に編入しても勉強を強制しなかった。そんな両親が重視していたのは、「物事の本質を考えること」。家庭内では「空はなぜ青いか」「人生とは何ぞや」「ゼロとは何か」「宮本武蔵はなぜ負けなかったか」――といったディスカッションを日常的に行っていた。

 こうした“頭の体操”を続けた結果、三木谷氏は突如として高校時代に勉強に目覚め、猛勉強の末に一橋大学に進学。その後の活躍ぶりは前述の通りだ。

photo 三木谷浩史氏(=2018年2月)

 この“そもそも論”を考え抜く習慣は、楽天創業時にも生きた。興銀を辞した三木谷氏は、「魅力ある新規事業とは何か」について考え抜き、「情報や企画がどんどん刷新され、昔の商店街のように“人のにおいがするショップ”を作れば必ず成功する」と判断。大企業の撤退が相次いでいたEC事業にあえて参入することを決めた。

 同書では、話し合いを重んじる楽天の社風をはじめ、TBSホールディングスとの買収交渉、新経連の立ち上げ、社内公用語の英語化、プロ野球参入――といった世間の度肝を抜く施策の根底には、三木谷氏がのびのびとした家庭で体得した“楽天的”な価値観と確固たる自信、そして眼力があったと結論付けている。

 同書では、三木谷氏本人、両親、大学、興銀時代の友人のインタビューを織り交ぜつつ、さまざまな角度から人となりを詳述している。希代の起業家・三木谷氏のバックグラウンドを知りたい人にお勧めの一冊だ。

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