文科省の局長逮捕は「天下りシステム」崩壊の副作用ではないかスピン経済の歩き方(3/6 ページ)

» 2018年07月10日 08時08分 公開
[窪田順生ITmedia]

極めてトラディショナルな「官僚犯罪」

 なんてことを言うと、文科官僚をディスっているように聞こえるかもしれないが、そんなつもりは毛頭ない。筆者が個人的に知っている文科官僚たちは、みなバカが付くほどマジメで、心の底から国の教育行政をよくしようという志をもった立派な方ばかりだ。自宅に大学などからお歳暮が届いても、すべて送り返し、用意された天下りポストに背を向けた人も知っている。

 ただ、神戸製鋼や東芝や三菱自動車にいるのもマジメなサラリーマンばかりだということと同じで、立派な個人がいるということと、「組織の不正体質」はまったく関係ない話なのだ。

 そんな珍しくない文科官僚の汚職をなぜマスコミは「前代未聞」と騒いでいるのかというと、2008年から目立った汚職が起きていないので忘れてしまっているだけだ。

 では、どうしてこの10年、定期的に発覚していた汚職がなりをひそめていたのか。そりゃ、みんな心を入れ替てコンプラ意識を高めたんじゃないと思うかもしれないが、筆者のように不祥事や不正を繰り返す組織ばかりを見てきた者は、ちょっと違うことを考える。

 この10年、文科省のあり方を根本的に変えるような改革は行れたという話は聞かない。組織は変わっていないのに、「不正」が減った。こういう場合は往々にして、表沙汰になる不正が減っただけで水面下へと潜ったことが多い。つまり、文科省で個人の汚職が消えたのは、目に見えない形の汚職へと姿を変えた可能性があるのだ。

 そう筆者が考える理由が(2)だ。「東京都内で会見した再就職等監視委員会の担当者は、こう語った。文科省での組織的な天下りは、再就職あっせんなどを規制した改正国家公務員法施行直後の2009年ごろから行われていたという」(朝日新聞 2017年1月20日)

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