その典型が先ほど触れた柴山文科相である。新聞記事やらを見ると、柴山氏は何やら急にイキってしまい、自ら進んで「教育勅語の検討」なんかをぶちまけたような印象を受けるかもしれないが、そんなことはない。
実は、ある程度キャリアを重ねた記者なら誰もが持っている「質問テクニック」によって、「言わされた」のだ。
今年の8月17日、柴山氏はTwitterで「私は戦後教育や憲法の在り方がバランスを欠いていたと感じています」とツイートしていた。記者は、その発言の真意を尋ね、自然の流れでセンシティブなネタへ水を向けている。以下に文部科学省Webサイトの会見書き起こしを引用しよう。
記者: 関連してなんですけれども、教育勅語について、過去の文科大臣は中身は至極まっとうなことが書かれているといった発言をされているわけですけれども、大臣も同様のお考えなんでしょうか。
大臣: 教育勅語については、それが現代風に解釈をされたり、あるいはアレンジをした形でですね、今の例えば道徳等に使うことができる分野というのは、私は十分にあるという意味では普遍性を持っている部分が見て取れるのではないかというふうに思います。
記者: それはどの辺が今も十分に使えると考えてらっしゃいますか。
大臣: やはり同胞を大切にするですとか、あるいは国際的な協調を重んじるですとか、そういった基本的な記載内容についてですね、これを現代的にアレンジをして教えていこうということも検討する動きがあるというようにも聞いておりますけれども、そういったことは検討に値するのかなというようにも考えております。
このやりとりを見てどう思われただろう。記者は「大臣のお考え」という言葉をぶっ込むことで、「個人」から「大臣」へと立場を巧みに切り替えた。が、柴山氏は先ほどまで就任前のTwitterについての私見を述べていたので、そのノリを継続して教育勅語についての私見を述べてしまっているのだ。これが後日、柴山氏が、文科相としての発言ではないと釈明をした理由だ。
ちなみに、この現象は民間企業でもよく見られる。急なキャリアアップで幹部クラスに引き立てられた人の言動が炎上しがちなのは、柴山氏のように「立場の急変」に自分の感覚がついていけていないのである。
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