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30歳で楽天を辞めた元副社長が私財を投じて学校を作る理由本城慎之介、軽井沢風越学園創設への道【前編】(3/5 ページ)

» 2018年10月12日 06時15分 公開
[井上理ITmedia]

 「東京都江東区では学校が足りないので、私立の小学校や中学校がいけそうです。Aさんに8000万円を払えば、政治や行政への根回しも含めて丸々コンサルティングを引き受けてくれるそうです」「関東の中高一貫校が売りに出ているので、見に行きませんか」「この学校法人なら理事長になれそうですよ」……。

 そういった話が山ほど本城のもとに舞い込んだ。実際に幾つか、学校を見学したこともある。しかしながら、残りの人生を賭して、難しいことに挑戦しようとしていた本城には、あるいは、楽天でゼロから築く大変さと面白さを知っていた本城には、どの話も刺さらない。

 とはいえ、ゼロから学校法人を築くには、あまりに経験がなく、徒手空拳に近い。早くも道に迷い始めた本城。そんな折に知人から、横浜市教育委員会が公立中学校の校長を公募していることを知らされ、飛びついた。

修行で飛びついた中学校校長と、退任後の迷走

 05年4月、本城が当時全国最年少の32歳で横浜市立東山田中学校の校長に就いたことはそれなりに知られている。だがこれは、本城にとって目的ではない。「学校作り」へと続く、修業だった。本城は当時をこう振り返る。

 「いずれは自分で学校を作りたい。その修業として、公立の教育現場で経験を積んでおくことは、大きな糧となるはずだし、絶対に損はないと思いました。実際に、僕にとってすごく大きな出来事で、本当に楽しかったし、やりがいもあったし、気付きも多かった」

 しかし、本城は定年までの任期を待たずして、「飲酒事件」を機にわずか2年で校長を退任する。校長になった年の修学旅行で、横浜市のルール違反だと知らずに夜、先生たちと酒を飲んだことが公になった。あろうことか、その翌年の修学旅行では生徒の飲酒も発覚。本城は、自分がしたことを棚に上げて生徒を指導することができず、潔く身を引いた。

 そして、それからさらに10年近くも迷走を続けることになる。

 日本を引っ張っていく、アジアを引っ張っていくエリート育成が必要だ。全寮制の中高一貫校を作ろう。いや、それは違う。6年間で歩留まり高く、コストを掛けずにどれだけの生徒を良い大学に入れられるか。その競争の構図に参画したいわけでもないし、ほかにやっている組織はたくさんある――。

 そうした理由から、本城は一時期、学校ではなく「教育寮」を作ろうとしていた。東京大学の弥生門近くの土地を取得し、開成などの中高一貫校に通う生徒を住まわせる寮を建設するプロジェクトを進行。現役東大生のサポートを得ながら、学校では教わらないことを生活の中で身に付けるというコンセプトだ。だが、これも建設着工の間際で考えが変わり、ご破算にした。

東京大学の近くに土地を取得し、エリート育成のための「教育寮」を作ろうとした時期もあった 東京大学の近くに土地を取得し、エリート育成のための「教育寮」を作ろうとした時期もあった

 理由はさまざまだ。学校から寮に形を変えただけで、結局はエリート教育に拘泥している自分の矛盾やゆらぎにどこかで気付いていた。心底わくわくできることなのかというとそうでもない。あるいは焦りもあったのかもしれない。

 「学校を作ると言って楽天を辞めたのに作れず、校長になって辞めて、また作ると言って、でも寮を作るとなったけれど中止して。オオカミ少年っぽくなってきたなみたいな感じで。いい加減、何か形にしていかなければ、という焦りがどこかにあったのかもしれません」

 そんな迷える本城に、光明をもたらしたのが、軽井沢への引っ越しだった。

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