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30歳で楽天を辞めた元副社長が私財を投じて学校を作る理由本城慎之介、軽井沢風越学園創設への道【前編】(5/5 ページ)

» 2018年10月12日 06時15分 公開
[井上理ITmedia]
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 「仕事をさせてください」と申し込んだ本城。「お子さん4人もいらっしゃるのに、十分な給料も払えませんし、無理です」と一度は断られたが、経済的には困っていないと素性を明かし、09年4月から週2〜3回、ぴっぴで働き始めた。子どもたちが安全に遊んだり、食事をしたりできるよう準備をして見守り、時にはおむつ替えもした。

 11年ごろからは週5日のフルタイム勤務となり、運営にもどっぷりと関わるようになっていった。本城はそんな生活を、15年末ごろまで、実に7年も続けた。

 「ぴっぴの経験がなかったら、確実に今の風越学園の動きにはつながらなかった」。そう言うように、ここでの経験が16年にも及ぶ本城の挑戦のゴールを照らしたのである。

「学校作りに真剣に取り組まないで死ぬのは嫌」

 しばらく停滞していた学校作りが再び動き出したきっかけは、16年1月の「コーチング」。本城は楽天時代から月1回ほど継続していたコンサルティング会社のコーチングサービスで、何を相談することもなく、電話の向こうのコーチに30分ほど、ひたすらに思いや感情をぶつけていた。その1月のコーチングでは、年初ということもあり、少し長期的なビジョンについて話したいなと考えていた時のことだ。

 「ふと思ったんですよね。このまま学校を作らずに死ぬのは嫌だなと。作りたい、ということではなくて、学校作りに真剣に取り組まないで人生が終わっちゃうのが嫌だと思った。じゃあ、どんな学校を作りたいのか考えた時に、幼児期に学んだり出会ったりしたことが、小学校、中学校というふうにつながっていけることの豊かさや大事さをベースに、学校を作りたいと思ったんです」

 本城の中にくすぶっていたあらゆる思いが噴き出した。ぴっぴで得た着想を発展させ、幼小中の12年を同じ場所で過ごす一貫校を作り、仕切りを極限まで減らした校舎や森の中で、お兄さんお姉さんと幼児が自主的に学び、遊べるような環境を整える。だいぶ曲折があったが、現場での丁稚奉公があったからこそ、素直に受け入れられる、そして、わくわくできる構想にたどり着いた。

 仲間を集め、軽井沢の森の中に約7.3ヘクタール(2.2万坪)の用地を獲得。校舎などの設計を済ませ、20年4月の開校を目指し、今年6月下旬には長野県に学校法人の設立認可を申請した。

 もともと、インパクトのあることを成し遂げたくて楽天を飛び出した本城。今の構想には、あらゆる革新的な要素が詰まっている。夢は、風越流の教育を全国へ拡散させることだ。次回の後編で、その詳細をお届けする。(文中敬称略)

著者プロフィール

井上理(いのうえ おさむ)

フリーランス記者

1999年慶應義塾大学総合政策学部卒業、日経BP社に入社。以来、IT・ネット業界の動向を中心に取材。『日経ビジネス』「日経ビジネスオンライン」「日本経済新聞電子版」などの記者を経て、2018年4月に独立。著書に『任天堂 “驚き”を生む方程式』(日本経済新聞出版社)、『BUZZ革命』(文藝春秋)。


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