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インタビュー
» 2019年01月09日 06時30分 公開

“型破り”な人生:元プロ野球選手の古木克明さんが起業してまで成し遂げたいこと (1/4)

「松坂世代」の強打者として甲子園を沸かせ、ドラフト1位でプロ野球の世界に飛び込んだ古木克明さん。その後、野球を辞めてプロ格闘家となり、そして再びプロ野球選手を目指したのを知る人も多いだろう。そんな古木さんは現在、自ら事業を立ち上げて日々挑戦を続けている――。

[伏見学,ITmedia]

 「正直言って、キツイのはキツイですよ。もっと楽な稼ぎ方ができるかもしれない。でも今は何の制限もなく、やりたいことを頑張っているのは自分自身でも幸せだなと思うんです」

 こう打ち明けるのは、元プロ野球選手の古木克明さん(38歳)だ。神奈川県藤沢市内のスポーツジムでインタビューに応じてくれた。

古木克明さん。1980年11月10日生まれ。三重県松阪市出身。元プロ野球選手、元プロ格闘家。2014年、事業構想大学院大学に入学してビジネスの道へ。17年にアパレル事業などを展開する「The Baseball Surfer」を立ち上げる 古木克明さん。1980年11月10日生まれ。三重県松阪市出身。元プロ野球選手、元プロ格闘家。2014年、事業構想大学院大学に入学してビジネスの道へ。17年にアパレル事業などを展開する「The Baseball Surfer」を立ち上げる

 古木さんといえば、“型破り”な人物として知る人も多いだろう。野球選手としては、愛知・豊田大谷高校の2年生時に夏の甲子園に出場。初戦の長崎南山戦でいきなり2打席連続ホームランを放ち、全国の野球ファンに強烈なインパクトを与えた。松坂大輔選手(現中日ドラゴンズ)を中心とする、いわゆる「松坂世代」として最初に頭角を現したといっても過言ではない。3年生の夏も甲子園で活躍し、チームもベスト4に輝いた。

 高校卒業後は、ドラフト1位で横浜ベイスターズ(現横浜DeNAベイスターズ)に入団。将来日本を代表するホームランバッターとして期待され、2003年シーズンには一軍で22本の本塁打を記録した。しかし、その後は思い描いたような結果を残せず、09年10月に戦力外通告を受けた。ベイスターズとオリックス・バファローズ合わせて11年間で、本塁打は60本、打率は2割4分7厘、152打点だった。

 ここからが古木さんの型破りたるゆえんだ。戦力外通告を受けた後、早々に格闘家への転向を表明。2年間で2試合戦って1勝1敗の成績を残した。その後、再び野球界へのカムバックを目指し、11年、12年と日本野球機構(NPB)の合同トライアウトを受けたが、結果は不合格だった。

 野球を捨て切ることはできず、単身でハワイの独立リーグに挑戦。ハワイ・スターズでプレーした。「再チャレンジを志したけじめとして、最後に打席に立って自分自身の野球人生にけじめをつけたかったです。わずか4カ月ではありましたが、野球を始めた時の気持ちを取り戻すことができました」と古木さんは振り返る。

 しかし、ここで終わらないのが古木さんの真骨頂である。帰国後は知人のアドバイスもあって、新規事業のアイデア創出などに特化した事業構想大学院大学に通い、自らビジネスを興す道に挑戦することになる。

 「引退後は何をやればいいか見えていませんでした。人に雇われるのは僕の性格上きっと合わないけど、自分でやるにしてもビジネスに対するスキルが何もないし、そういう状態で始めてもうまくいかないだろうと悩んでいました。そうした中で、大学院という選択を見つけたのです」

 16年3月に大学院を修了。そして現在、「The Baseball Surfer(ベースボールサーファー)」という自身のブランドを立ち上げ、Tシャツやパーカーなどを製造、販売するアパレル事業のほか、野球スクール、さらには「助っ人」として草野球やイベントなどに参加する活動をしている。今回の取材で訪れたスポーツジムでは、週に2回、小・中学生にバッティングの指導などを行っている。

野球スクールではバッティングの指導などを行っている 野球スクールではバッティングの指導などを行っている
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