2019年5月1日に元号が変わり、新たな時代が幕を開ける。平成の約30年間でビジネス環境は大きく変化した。その最大の要因はインターネットの登場である。しかし一方で、働き方や企業組織の本質は昭和の時代から一向に変わっていないように思える。新時代に突入する中、いつまでも古びた仕事のやり方、考え方で日本企業は生き残れるのだろうか……? 本特集では、ポスト平成の働き方、企業のあるべき姿を探る。
第1回:「平成女子」の憂鬱 職場に取り憑く“昭和の亡霊”の正体とは?
第2回:「東大博士の起業家」ジーンクエスト高橋祥子が考える“ポスト平成の働き方”
いい大学を出て、名のある会社に入り、MBA留学や転職を経てから満を持して起業する――。筆者(昭和51年生まれの42歳)が学生だった頃のITベンチャーブームでは、輝かしい会社員経験を経てから自社を興すことがなじみやすいストーリーだった。楽天の三木谷浩史社長などが典型例だろう。
しかし、近年は理系の学生を中心に「在学中に起業してそのまま社会人生活に突入」というケースが増えているようだ。いったいどんな人たちなのだろうか。
遺伝子解析サービスを一般個人向けに提供しているジーンクエスト(東京都港区)の代表取締役である高橋祥子さん(昭和63年生まれの30歳)は、東京大学大学院の博士課程在籍中だった2013年に起業。働きながら博士課程を修了し、農学博士号を取得した。17年からはバイオベンチャーの雄であるユーグレナとの提携を進め、現在は同社のグループ企業としてビジネスを拡大している。高橋さんはユーグレナの執行役員でもある。
インタビュー場所は東京・田町にあるユーグレナ本社。約束の時間きっかりに会議室に現れた高橋さんからは勢いやカリスマ性のようなものは感じられなかった。淡々とした口調で、こちらの質問に丁寧に答えてくれる。若くて優秀な学者や医者と話している気分になる。なぜ象牙の塔を出て自ら会社を作ることを決意したのだろうか。
――早速ですが起業の経緯と理由を教えてください。
もともとは研究者を続ける予定でした。生命科学やゲノムの研究を少しでも前に進めて、その価値を社会の課題解決に役立てたいとずっと思っていたからです。
でも、ヒトゲノムの研究を進めていくためにはたくさんの人のデータが必要で、社会を巻き込まないと始まりません。今ある研究成果をサービスという形で社会に届けながらデータを集め、さらに研究を進め、それをまた社会に還元する。このように研究とサービスのシナジーを大きく回す仕組みを作りたい、作らないと研究自体も研究成果の活用も前進しないという使命感のようなものがありました。
その仕組みを実現するためにはどうすればいいのか。私にとって最適だったのが会社を作ることでした。起業したい、社長になりたいという気持ちが初めにあったのではなく、手段として選択したに過ぎません。
――修士課程にいたときは製薬会社や食品会社への就職も考えたそうですね。
はい。企業の一員としてゲノム研究を進めることも手段の一つだと思ったからです。でも、50社以上を受けて全て落ちました。私は採用面接に向いていないのかもしれません。「30年後、うちの会社でどうなっていたいですか?」と聞かれても明確に答えられませんでした。
――そういうときは「まずは目の前の仕事に精いっぱい打ち込んで、30年後は後輩のロールモデルになっていたいです」とか適当に答えればいいんですよ(笑)。落とされても就職浪人をするのが普通だと思いますが、高橋さんは学生のうちに起業することにしましたね。不安は感じませんでしたか?
エイヤッと思い切って会社を立ち上げたわけではありません。ロジカルに考えて、起業することにはリスクが少ないと判断しました。私の周りには1回も就職をせずに起業をした人が少なくありません。グノシーの福島良典くん、ナイルの高橋飛翔さん、クラシルの堀江裕介さん、メタップスの佐藤航陽さんなどです。
私は大学院生時代に本庄国際奨学財団から奨学金をいただいて生活をしていました。学業に集中するためにアルバイトなどの兼業は禁止です。起業するときに奨学金の継続辞退を申し出に行ったところ、財団の方からは「応援しているので、また学生に戻ったら奨学金を出してあげるよ」と言っていただきました。つまり、起業に失敗しても学生に戻るだけなのです。だったらチャレンジしないほうがリスクが高いと思いました。
Copyright © ITmedia, Inc. All Rights Reserved.
Special
PR注目記事ランキング