「蒙古タンメン中本」“からうま”ブームの真相 激辛に徐々に慣れさせる仕掛けとは?長浜淳之介のトレンドアンテナ(4/6 ページ)

» 2019年04月02日 11時25分 公開
[長浜淳之介ITmedia]

惜しまれながら閉店

 学生や地域住民、噂を聞き付けた首都圏の辛党に愛された中国料理中本は、98年12月に閉店。営業最終日には7時間待ちとなり、大行列を整理するために警察まで出動する騒動となった。繁盛していたが、中本氏の高齢・健康不安が店を閉じた理由だった。

 この人気を目の当たりにして、ぜひ店を継ぎたいと志願したのが白根氏である。60年生まれの白根氏は、20歳の頃に中国料理中本のラーメンに出会った。友人に連れられて来店した当初はその辛さに閉口させられたが、友人がはまっていたこともあって、しばらくしたらまた食べたくなった。ついには閉店するまでの約20年間、毎日のように通う太い常連となっていた。

 つまり、2代目は中本氏とは赤の他人ではあるが、中本で育った熱烈なファンの1人だったわけだ。

 何人かが、味を継ぎたいと中本氏の自宅を訪問したが、何度断られても諦めなかったのが白根氏。中本氏は店の2階に住んでいたのだ。「じゃあ、僕のために一杯だけ作ってくれないか」「ラーメン屋の心得が知りたい」などと口説くと、そこまで言うならと中本氏は折れた。中本氏は徹底的に厳しく指導にあたった。

 そうして、約1年後に蒙古タンメン中本と改名して上板橋で再開。かつての中国料理中本のファンを引き継いで、たちまち繁盛店となった。オープン初日は100人程度の行列ができ、感動の余り泣き出す人もいるほどだったそうだ。現在の上板橋本店は上板橋駅の北側にあり、駅のホームから看板が見えるほど近い。

photo 蒙古タンメン中本の上板橋本店

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