2019年シーズンも盛り上がりをみせている日本のプロ野球。どのチームもピッチには個性的な顔ぶれがそろう。主力の座を虎視眈々と狙う若手選手もいれば、さらなる飛躍を誓う中堅選手もいる。移籍して新たな環境で挑戦している選手もいれば、そこにいるのが当たり前かのようにチームの屋台骨を支えるベテラン選手もいる。だが、そんな華やかな世界をみると、天邪鬼な筆者は、その裏側でピッチに立つことができない選手、とりわけ、怪我(けが)をしてリハビリをしている選手たちに思いをはせてしまう。
いま筆者の目の前には、過去に怪我に苦しみながら引退した元プロ野球選手が座っている。いかにも物静かで誠実そうな細身の男性。この人物こそ、かつて千葉ロッテマリーンズの中継ぎ・リリーフエースとして大活躍した荻野忠寛氏(37)だ。身長174センチの小さな体全体を使ったダイナミックな投球フォームが、マウンドで躍動するのを覚えている野球ファンも多いのではないだろうか。
06年、社会人野球の強豪・日立製作所から、大学生・社会人ドラフト4位で指名され千葉ロッテマリーンズに入団した荻野。最大の特徴であるコントロールを武器に17試合連続無失点を記録するなど、ルーキーながらチーム最多の58試合に登板する。さらに翌年にはリリーフエースに抜てきされると、30セーブをあげチームの顔の一人として大きなインパクトを残す活躍を見せた。才能にあふれた新人の台頭に、“今後もしばらく活躍し続けるのではないか”という楽観的な想像をしていたのは筆者だけではないだろう。だが意外なことに、当の本人の感覚は全く違っていた。
「(プロの世界は)想像をはるかに超えた世界でした。僕の能力では全てを出し切って挑まなければ勝負ができなかったので、余力は一切なく、常に全力で戦うしかありませんでした」
少しでも気を抜けば、一気に飲み込まれてしまう厳しいプロ野球の世界で、荻野は荒波に飲み込まれぬよう、小さな体を目いっぱいに使って、全力で投げ続けた。
選手生命を削っていることは分かっていたものの、いくら身体に痛みがあっても、荻野の頭に休むという選択肢は存在しなかった。当時のスポーツ界は精神論・根性論がいま以上にまかり通っていた時代だ。使い捨てライターのように簡単に捨てられてしまう恐怖が痛みを上回ったのか。それとも、スタジアムに響く大声援が作り出す興奮状態が痛みをかき消したのか。
いま野球界で話題になっている球数制限の問題がもう少し早く議論されていれば、その後の野球人生は変わっていたのかもしれない。いまとなっては結果論でしかないのだが。
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