その後の荻野のプロ野球人生は、それまでの華々しい活躍からは一転して、怪我との戦いの連続となった。荻野が酷使し続けてきたのはひじだけではなく、その影響は肩やひざや腰にまで及んでいた。プロ生活8年間で5度にわたる手術。時には歩くことさえままならないこともあった。手術後は局所的に身体に軽い負荷を加えるだけの単調なリハビリ生活が続いた。ほとんどの時間を室内で過ごし、焦りを抑えながら、一切の愚痴をこぼすこともなく、ただひたすらに小さな努力を積み重ねた。もう一度、過去の自分を取り戻すために、怪我と向き合う苦しい日々だった。
14年のシーズン終盤。長く苦しいリハビリ生活をようやく乗り越え、2軍戦で登板できるほどにまで怪我は回復していた。やっと全力投球ができるようになり、もう一度やれると思い始めた矢先のことだった。同年10月、荻野の元に一本の電話が入る。それはマネジャーからの電話だった。「明日ホテルに来てくれ」と言われたとき、来シーズンの構想から自分が外れたことを瞬時に悟った。
「毎年その時期になるたびに、そろそろかなと思っていました。当然ですよね。怪我をしてから5年もの間、球団は我慢して僕を雇ってくれていたんですから。大切に扱ってくれたことには、いまでも感謝しています」
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