これらの経営環境の変化を受け、日本企業は2000年代にドラスチックに「市場価格で社員の給与を決める」という人事制度に移行する選択肢もありえた。実際、ちょうどその頃に成果主義への転換が多くの企業でなされた。
だが、新たに導入された成果主義は、これまで述べてきた市場価格と待遇のギャップを埋める方向には機能しなかった。なぜなら、
という方向での制度改革になってしまったからだ。
目的が違うのだから、ここで論じている「待遇の対外競争力是正」にはあまり効果的ではなかった。つまり「無能な上司が俺よりもらっている」という恨みへの対処は(ある程度)できたし、退職年金や窓際族に高すぎる給与を払うことには対処できたが、「転職した方が待遇が良くなる」ことに対しては無策に近かったということだ。
少し後になって(2010年ごろ)、韓国、中国企業への技術者引き抜きがセンセーショナルな話題になったが、同じことは、欧米系との間ではとっくに構造化していた。だが、深く静かに進行したので、あまり話題にもならなかったし、日本企業としても危機感は薄かったのではないか。
ごく最近も、NTT 持ち株会社の澤田純社長が「(NTT持ち株会社の研究開発の人材は)35歳になるまでに3割がGAFA(Google、Amazon.com、Facebook、Apple)などに引き抜かれてしまう」とおっしゃったらしい。確かにGAFAは「年収2000万、無料のカフェテリア」など、分かりやすく派手な話題が多いので、インパクトが大きいが、似たようなことはずっと前からあったのだ。
一方で社員の方も「待遇より居心地」「会社は一生勤めて当然」「自分の会社が好き」という考え方の人がまだまだ多かった。人の価値観はそれほど早くは変わらない。多分、人の価値観が変わるよりも、人が入れ替わる方が早いだろう。つまり、これくらい大きな環境変化を受け入れるには30年かかる。
そしてもちろん「転職したら待遇が上がるかもしれないが、自分はこの会社と今の仕事が好き」という価値観が悪いわけではない。
※僕自身のお客さんは大企業の方が多いので、こういう価値観の方と、会社(そして社会)を良くするためにチャレンジしてきたし、同志という感覚も持っている
そのため、日本企業からの人材流出は限定的だったが、特に優秀な人や、イノベーションを起こすような変わり者は比較的、流出しがちだった。特に、ITエンジニアは流出し続けた。2000年ごろには、既にIT業界だけは「手に職をつけて転職する」という文化が一般化していたためだ。先にも少し触れたように、エンジニアというのは「能力差があからさまな職業」だからだろう。「この会社じゃないと発揮できない能力」という要素も少なく、転職してもすぐに活躍できる。
変わり者、特に優秀な人、ITエンジニア――。これらの人材は、世の中で重要な存在になっていった「ITをテコにビジネスを変革する人材、いま“DX人材”といわれている人材」のことである。
割合でいえば、能力主義の会社に転職する人は少なかった。だが、変革をリードするポテンシャル(性格含めて)を持った人材は、転職する傾向が強かった。
これは人々の実感以上に、世の中を変えるインパクトがあったはずだ。
さて。ここまでは、分かりやすく待遇の話をしてきたが、本当に重要なのは、「仕事の面白さ」だと思っている。僕をはじめとして「仕事は給与の額では選ばない派」は多い。
だが、待遇と仕事の面白さには、緩い相関があるものだ。例えば僕は、人月100万でSE(システムエンジニア)をしていたときよりも、人月200万でコンサルタントをしていた時のほうが、本質的でお客さんにインパクトを与える仕事に関われたし、結果として面白かった。この例は売値の話であって、社員の待遇とイコールではないが、相関関係はある。
年功序列型の日本企業の本当の問題は、ハイパフォーマーにやりがいのある仕事をさせなかったことだと思っている。
誤解のないように言っておくと、たいていの大企業でも優秀な人には相対的に面白い仕事を割り振る意図はある。だが一方で、かなり優秀なのに40代でも部下がいないとか、超就活エリートが行く会社であるにもかかわらず、20代ではExcelデータ加工がメインタスクになっているといった、残念な状況も普通に目にする。
「同期の中で優秀な人は企画部門に」というようなレベルの低い話ではなく、本当に優秀な人には、能力主義の会社がやっているように「30代で“創って・作って・売る”がそろった事業を任せる」くらいのドラスチックなメリハリをつけるべきなのだ。
このメリハリのなさは、給与制度以上に深刻な日本的人事戦略の“バグ”である。
人を育てるのは「研修」ではなく「仕事」なのだから、エキサイティングな仕事を優秀な人に与えなかったら、人が育たないか、優秀な人から逃げるかの二択だ。
日本企業がこの状況を避けるために取りうる1番簡単な施策は、ハイパフォーマーを若くして関連会社の社長に抜てきすることだろう。1つの事業、1つの組織体を若くして任せることは人を鍛えるよい修行になる。
だが、関連会社の社長というポストは、ほとんどの会社で役員の終着駅的なポジションになっている。これをいきなり38歳くらいの若僧にくれてやる、という大胆なことをやる企業はまれだった。経営者候補の育成よりも、社長レースに破れたかつての仲間のメンツを優先する。これはどう考えても合理性に欠ける慣行であり、「趣味で経営やっているんですか?」といわれても仕方ない。
要は、「ハイパフォーマーに面白い仕事を与えないと、会社の明日はない」という切迫感が不足しているのだ。だから、思考停止的にこれまでの人事慣行をずるずると続けてしまう。
繰り返すが、ハイパフォーマーを引き付けるために本当に重要なのは、「札束」ではなく「仕事の面白さ」(「責任の重さ」といってもいい)だ。僕の知人にも「年俸は下がるけれども、面白そうだから転職する」という人はけっこういる。特に大胆に組織を変えるリーダーシップがあるような人ほど、その傾向がある。
にもかかわらず、この面でも、日本的人事戦略はまるで機能していない。
そんなこんなで、例えば僕の場合は30歳ごろに、日本的人事戦略の企業への転職の可能性はなくなった。その時やっていた仕事より面白い仕事をさせてもらえないからだ。例えば「この会社に転職するなら最低限、経営企画室長とか情シス部長じゃないとつまらんな……。でもそれって50歳くらいのポジションだから、今、僕が転職しても絶対にそんなポストは回ってこない」という感じだ。
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