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孤独死の現場から問う 独りで誰にも迷惑を掛けず、あなたは死ねるか誰にも訪れるかもしれない未来(2/3 ページ)

» 2019年06月14日 07時30分 公開
[服部良祐ITmedia]

地域や家族だけでない「新たなつながり」を

――瀧野さんは『これからの「葬儀」の話をしよう』(毎日新聞出版)で、日本での葬儀の主体が地域社会から会社、そして家族に移行したことで、葬儀が安く小規模化していると指摘しています。日本社会が核家族化、そして個人主義化していることが、孤独死の問題にもつながっていると言えます。個人の孤立を防ぐため、地域や家族間の人間関係が強かった時代に戻るべきという主張も、一部では聞かれます。

photo ある特殊清掃の現場。作業の前に即席の「祭壇」が作られ、線香が立てられ、ペットボトルの水が供えられた(瀧野さん提供)

瀧野: (過去に)戻れば良いという話では、全然ありません。絶対に戻れない。ある意味これは必然なのです。戦後、地域のしがらみから人々は(都会へ)逃れ、新しいファミリーができた。そこから団地が形成されたわけですが、高齢化が進んで今、1人暮らしが増えている。

 昔には戻れるわけがない。それは誰の心にも響かない主張です。それより、誰かとの新しいつながりが必要なのです。

――瀧野さんの著書には高齢者の後見や支援、葬儀の生前契約などを手掛けるNPO「りすシステム」が登場します。

瀧野: 彼らは(自分たちの取り組みを)「疑似家族」と言っています。「もうかるから何かをしてあげる」というだけでなく、家族のように、誰かが誰かのためにしてあげる、ということです。

 当たり前に与えられていた「地域」や「家族」といった関係だけでなく、ある意味、積極的に求めていく「つながり」が必要だと私は思います。

「迷惑を掛けても良い」人間関係を

――ただ、今は「終活ブーム」もあり、周囲とのつながりを強めるより「なるべく迷惑を掛けずに亡くなる方法」を説く書籍も多いです。

瀧野: 終活ブームのキーワードは、「迷惑を掛けたくない」です。みんなそう言うのです。でも、コンフリクト(対立)のない人間関係なんてあり得ない。あれは「自分は迷惑を掛けられて嫌だった」の裏返しなのです。例えば、姑(しゅうとめ)の人から自分が迷惑を被(こうむ)っていた、というようなケースです。

 昔は大家族で、コミュニティーの中の人間関係は「1対1」では無かった。でも今は1対1です。迷惑を掛けられないわけにはいかない。(終活の「迷惑を掛けたくない」は)ファンタジーです。むしろ、迷惑を掛けても良い人間関係を築くべきなのです。

 ある火葬場の担当者が言っていました。「(生前に)迷惑は掛けるべきです。じゃないと悲しい」、と。私も母親が入院しています。彼女は1人暮らしだったので、飼っていた猫をどうしようと思ったり、長崎の実家まで行ったりするのですが、このちょっと面倒くさい経験も思い出になると今は思っています。この“迷惑”は、いつか何かになる。関係を築くということは、迷惑も被るということなのです。

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