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» 2019年07月01日 05時00分 公開

ワンマン社長の奴隷、3500万円の借金地獄――“31歳無職の男”は「伝説の居酒屋カリスマ」にどう成り上がったのか【後編】熱きシニアたちの「転機」(2/4 ページ)

[猪瀬聖,ITmedia]

95年に「備長扇屋」開業

 「パートでも作れる」「機械化」というと、コスト優先で味を犠牲にしていると思われがちだ。だが、決して味に手を抜いているわけではない。山本さんがレシピと同じくらいこだわるのが、素材だ。

 これに関し、20代の時に2人で始めた携帯電話の部品製造会社で、山本さんを奴隷のようにこき使った「社長」に感謝している数少ないことの一つが、社長がグルメだったことだ。社長は、カツオが旬の季節になると、獲れ立てのカツオを食べに東京から日帰りで高知に連れて行ってくれたりした。

 おかげで舌が肥え、原材料は妥協しないという姿勢が自然と身についた。例えば、いくら安くても、冷凍食材は原則使わない。明らかに風味が落ちるためだ。現在、もつ焼きチェーンを展開しているが、そこで使用する豚の内臓は、自分で探し出した特定の食肉市場から直に調達している。処理の仕方で味が変わるためだ。

 念願かなって開いた焼き鳥店は、2坪ほどの大きさのテークアウト専門店からスタートしたが、すぐに常連客が付き、夕方になると行列もできるようになった。自信を持った山本さんは、居酒屋形式の焼き鳥店に挑戦することを決意。1995年12月、岐阜市内に「総本家備長扇屋」を開業した。

 店は瞬く間に評判となり、程なくして2号店、3号店をオープン。フランチャイズの申し出も相次ぎ、わずか3年で岐阜県内に30店舗を構えるようになった。さらに、大手ファミリー・レストランを創業した実業家からもフランチャイズをやらせてほしいという申し出があり、全国展開が加速。創業10年で全国に280店舗を持つ一大焼き鳥チェーンに成長した。

 ところが山本さんは、その全国展開を支援してくれた実業家に、手塩にかけて育てた焼き鳥チェーンを、いとも簡単に売却してしまう。「会社が大きくなって経営のストレスを感じていたのに加え、鳥インフルエンザの発生や飲酒運転の摘発強化など経営環境も徐々に厳しくなり、正直、嫌気がさしていた。それに何より、また(別のチェーンを)始めればいいやという気持ちがあった」。

 それで次に創業したのが、東京では焼き鳥よりブタ串のほうが売れると踏んで仕掛けた、炭火串焼きチェーンの「日本橋 紅とん」。これも約3年で20店舗以上に広げた時に、同じ実業家に売却した。

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