アフリカ人への強烈な憧れを幼少期から抱き続け、少数民族を撮り続ける1人の女性写真家がいる。服を身にまとわずに暮らす少数民族の村で、現地の女性と同じ姿になることによって信頼関係を築き、常に「唯一無二」の写真を生み出してきたヨシダナギさんだ。TBSのテレビ番組「クレイジージャーニー」などでご存じの方もいるかもしれない。
ヨシダさんは幼少期にテレビ番組でマサイ族を見て以来、「大きくなったら自分もアフリカ人のような姿になれる」と信じてきた。だが10歳のときに、自分が日本人だと両親から教えられ、突き付けられた現実に失望する。それは彼女にとって、大いなる「挫折」だった。
その後イラストレーターとして活躍した後、2009年、23歳のときに単身でアフリカに渡り、憧れていた夢に一歩近づいた。英語はほとんど話せず、辛うじて発せるのは「Hello」「I'm fine」「Hungry」「Sleepy」程度。その状態でアフリカに飛び込んだだけでなく、「海外旅行をした時だけの記録として」撮っていた写真をブログに上げると、その独創的な写真がSNSなどで話題になった。以来、エチオピア、マリ、ブルキナファソ、スーダン、ウガンダ、ガーナ、ナミビア、カメルーン、タンザニアなどに足を運び、現地の少数民族と同じ格好をして心を開かせることによって、彼らが持つ魅力を存分に引き出してきた。
その過程は驚くほど過酷だ。現地の治安は決して良くない。現地ガイドも海千山千のしたたかな人物もいて、時には言い寄られることもあった。アフリカの地で日本人女性は非常に目立つ。もちろん肉体的にも危険が伴う。少数民族に会いに行くために、時には舗装もされていない道を何十時間も自動車で移動することもある。男性でも体力的にめいるような状況の中、アフリカ人の魅力を伝えるために奔走しているのだ。
肉体的にも精神的にも1人の女性が許容できる範囲を超えているようにも映る。だからこそ、アフリカの人々と打ち解けるために彼らと同じように現地の衣装に身を包み、関係を築いていくそのさまは、同世代を中心に多くの人々の胸を打っているのだ。
ヨシダさんの学歴は「中卒」だ。会社に勤めた経験もない。そして写真の撮り方は全て独学。体系的な勉強はしていないし、自身も写真に対しては「無知」だと言い切る。ではこれまで彼女は何を思いながら今まで誰もやったことのない「仕事」を“創”ってきたのだろうか。ヨシダさんに聞いてみた。
――ヨシダさんは写真家として活動する以前、イラストレーターとしても活躍していました。作品が欧米のアニメーション会社など海外でも評価され、日本を飛び越えていきなり海外の会社と仕事をするなど特異な経験もしています。写真に軸足を移してからもアフリカの少数民族を自ら撮影するという発想力と行動力には、ヨシダさんならではのすごみを感じます。ヨシダさんの行動力の源泉はどこにあるのですか?
イラストレーターをしていたときは、写真をなりわいにしている現在とはモチベーションやスタンスは違ったと思います。共通しているのは、その時も今も、「一人で何かをやっている」とは思っていないことです。私自身が本当に一人で何かをできる人であったなら、ガイドもつけずに海外に行くでしょうし、自分で出版社やスポンサーに売り込みもするのでしょう……。私にはそこまでの力はありません。
でも、その時その時で、必ず誰か助けてくれる「エージェント」を見つけられているのです。そのエージェントが海外に売り込んでくれたり、私の代わりにコミュニケーションを取ってくれたりしてくれるのです。
アフリカにいても、私は現地ガイドを付けていますし、1人では動いていません。なので、ある意味寂しくないというか、心強いと感じていますね。一人で何かをやってきたというよりは、必ず誰かに助けてもらえる状態でやってきたのです。ワンマンでやっているわけではありません。
――なるほど。危険な場所もあるアフリカにいても、ヨシダさんは同志を見つけられるのですね。以前の著書のタイトルにもあるように「拾われる力」が重要なのですね。
必ず助けてくれる人を見つけていますね。エージェントも、自分でネットを使って探しましたし。たまたま馬が合う人を見つけられて(笑)。
――偶然うまくいったとおっしゃいますが、当然さまざまな失敗も重ねているのだと思います。
そうですね……。例えば現地ガイドが誰になるのかは、実は「くじ引き」のようなものなのです。電話を取ったオペレーターによりますから。どんなガイドに当たるかは現地で会ってみるまで分かりません。だから良いガイドに出会ったら、次の取材のために個人的にキープしておきます(笑)。
――考え方の合わない人とプロジェクトを進めないといけないことも多いと思います。そういう状況になった時、ヨシダさんはどのように捉えていますか? 著書の中では、「毎日、関係を迫ってくるマリのガイドがいて大変だった」という話もありました。アフリカの方は日本人の考え方とは異なる部分も少なくなく、ストレスを抱えることも多いように思われます。
私自身は他人に対して怒ることがそれほどないんです。その前にフェイドアウトをしたり関わらなくなったりすることが多いので、そういう感情自体を抱くことが少ない。でも、(マリのガイドの)シセはレベルが違いました。初めてシセに会ったときに、「こんなに不愉快な感情があるのか」「こんなに全てをプラスに取るモンスターのような人がいるのか」と思いました。
でもそれ以降は、シセを超える人は出てこないですし、シセがいなかったら、あの感情を知ることはなかったので、今思えばいい経験になったと思っています(笑)。
――以前、インタビューの中で幼少期には「黒人」になりたかったと話していました。さまざまな夢を追い掛ける中で、アフリカの方々への思いや関わり方は変わりましたか?
もちろん11歳の時に現実を知ってから「黒人になりたい」という思いはなくなりましたが、彼らをカッコいいと思う気持ちは変わりません。以前は黒人だからカッコいいと思っていましたが、それが広がってきて、アマゾンの少数民族もカッコいいと思うようになりました。昔は漠然と「見た目やフォルムがカッコいい」と感じていたのですが、今は彼らの存在全てがカッコいいというか愛(いと)おしいと思えるというか。仕事を通してちゃんと好きになれたなーって……。向き合わなきゃいけないですからね。最近は本当に彼らのことをよく見て取材しなきゃいけないなという責任感が芽生えてきました。
――多くの読者にとっては、アフリカ人は遠い存在に思えてしまうかもしれません。ヨシダさんから見て、日本人は彼らから何を学ぶことができると思いますか? アフリカ人から日本人が学ぶ必要があるものがあるような気がします。
日本人に必要なこと……ですよね。アフリカ人を見ていると、日本人は他人と自分を比べすぎていて、「自我がない」と思うことがあります。自分を肯定するのが苦手な民族だという気もして……。つまり「自分の良さを知らない人が多いな」と感じます。なので自信がなかったりとか、自分のことが見えていなかったりする人が多い。アフリカ人に限らずですが、少数民族の人たちはもちろん自分が一番カッコいいと思っていますし、自分と誰かを比べて卑下することはないんですよ。それこそが少数民族の魅力だと私は思っています。
――確かに著書の中でも現地人のモデルを選ぶとき、目を合わせたときに視線をそらさないか、凛(りん)としているかどうかを見ていると書かれていましたね。しかし自信を持つことは大切だとよく言われますが、それは本当に大切なことなのでしょうか?
やはり自分に自信を持っている人と持っていない人の写真を見比べたら、人種に限らず自信を持っている人の方が、顔の良しあしではなく、美しく見えると思います。女優さんでも自信がなさそうな人よりは、凛と立っている人の方が、生き様が出てくる。私はそれこそが「美しさ」なんじゃないかなと感じます。だから、何で日本人はこんなにコンプレックスを持つ人が多いのだろうと思うんですよね。
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