インタビュー
» 2019年07月26日 05時05分 公開

暴力団取材の第一人者・溝口敦 「刺されてもペンを止めなかった男」が語る闇営業問題の本質「メディアの企業体質」に苦言(2/5 ページ)

[服部良祐, 今野大一,ITmedia]

妻「本人が電話してきたなら大丈夫」

――刺された後は、暴力団に自身の行動パターンを察知されないよう、日頃からかなり気を配っているとの話ですが、本当ですか?

溝口: それは気を付けていますよ。刺される前より、後の方が怖く感じるわけで。後ろから走ってくる足音が聞こえると、「うわっ」と振り返ってしまうとか。そういう習性は刺された後にできましたね。

――本当に刺されると、事前に想像していましたか?

溝口: 本を出した直後はたまたま海外の仕事がありまして、帰国して「まあ平気だろう」と思っている時に刺されました。僕は「あいつらも腰が引けて、(直接襲撃せず)銃弾を自宅か事務所に打ち込むのでは」と思っていて、刺されることは予想していませんでした。

――家族はどんな反応でしたか?

溝口: (溝口氏の事務所があった)東京・高田馬場で刺された後、近くの文房具店から家に電話したのです。そうしたら息子しかいなくて、「刺されてこれから救急車で病院に運ばれるようだ。お母さんに伝えて」と言いました。当時、女房はたまたま近所の葬式に参加していて、帰宅後に息子から話を聞いた彼女は「ああ、本人が電話してきたなら大丈夫だ」と(笑)。女房も合理的な人間で、別に心配していませんでしたね。

――ちなみに、奥さんは昔からそこまで肝が据わっているタイプだったのでしょうか?

溝口: だって、そこまで肝が据わっているかどうかを知る体験なんて、なかなか無いじゃないですか(笑)。ただ、あまり感情的になることは無かったんじゃないかな。

――06年には息子さんも元組員に刺されました。自身だけでなく家族も重傷を負う事態、どう受け止めましたか?

溝口: あの時は……。僕は(東京の)麻布あたりにいて、これから飯でも食おうかという時でした。当人から「家を出たら尻を刺された」と電話がありました。「ズボンの後ろのポケットに財布を入れておいたためケガは軽く、歩ける」「犯人は逃げる時に神社の垣根を越えようとして携帯電話を落とした」などと言っていましたね。僕もそんなに心配せず、その日の予定である会食に向かいました。

 せがれも、刺されて恐慌をきたすようなことは無かったですよ。「親父、お前の仕事は俺をこういう目に合わせた、止めてくれ」とは一言も言わない。女房も言いません。ただ、事件後に「あんたも年も年なんだから、人に憎まれる危ない仕事はしないで」とは言われましたけどね。

――暴力団取材とは、ここまで危険なことがあるのですね……。溝口さんはなぜ彼らにそこまでこだわるのですか?

溝口: 暴力団というものはいろいろなことがありますが、ともかく場合によっては「人を殺す」のです。サラリーマンの(企業内部の)お家騒動でも血で血を洗うような騒ぎはありますが、それで殺人事件は起きません。

 でも、ヤクザではあるのです。そういう意味で動きが派手じゃないですか。感情の動きが人殺しにまで行ってしまう。ある意味“劇的”なところがある。そういう面白さはありますね。

 組織としての面白さもあります。権力者がいたり、おべっかを使う者がいたり、権力者をひっくり返そうという人間もいる。組織と人の面白さがある。

 また、僕が最初に出した暴力団の本『血と抗争』(三一書房、現在は講談社+α文庫)は約50年前の作品だけれど、いまだに売れているロングセラーです。暴力団ものは確実にマーケットがある。書き屋商売の人間としては、それに向けて出さない手はないというのもありますね。

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