暴力団取材の第一人者・溝口敦 「刺されてもペンを止めなかった男」が語る闇営業問題の本質「メディアの企業体質」に苦言(2/3 ページ)

» 2019年07月26日 05時05分 公開
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闇営業報道に見るメディアの“偏向”

――溝口さん以外のジャーナリストでは、マスコミの事件担当記者であってもここまで暴力団に食い込むのは難しいと思います。特に、昨今の「サラリーマン化」した記者ではほとんど扱えないテーマです。

溝口: ただ、「暴力団に取材する価値があるかどうか」という問題はあると思います。新聞社もヤクザという組織への興味を失っていると感じる。例えば、(暴力団がらみの事件記事で)「山口組系●●組の何某」という書き方はあまりしません。(二次・三次団体の)組名まで出したら、その組を顕彰することになってしまうかもしれない。暴力団の“社会的価値”も低くなってきていると感じます。最近は抗争もほとんど起きませんね。

――一方で、暴力団ではありませんが、芸能人が振り込め詐欺グループのような反社会的勢力に「闇営業」をしていたニュースが現在、非常に話題です。メディアの記者たちが、いわゆる反社の人間と取材で渡り合う術を持っておくことは、今後も重要になるのではないでしょうか?

溝口: 今の吉本興業の騒ぎと言うのは、「反社のグループが主催したパーティーに、吉本の芸人がたくさん参加していて、吉本側が彼らを処分した」という事件ですよね。ワイドショーなんかが騒いでいるのもその間の出来事であって……。どうなのかな。

 例えば、その反社は何という名前なのか。「日本で最大の振り込め詐欺グループだ」という週刊誌の記事もありましたが、その実名はなかなか出てこない。ワイドショーもこれだけ騒いでいるにもかかわらず、そこに触れようとはしないじゃないですか。

 芸能人と反社が接触したという事実を元に、「出席した芸能人は金をもらうことを拒否しているけれども、そんなことはあり得るのか」とか、「芸能人はパーティー主催者の性格を知らなかったのか」といった話に問題が収束している。

 (反社の人間の実名は)知らなくてもいいことなのかもしれないけれど、僕はやっぱりね、メディアの興味の持ち方がちょっと偏っているという気がします。

――当たり前ですが、真の悪とは芸能人ではなく振り込め詐欺グループの方です。

溝口: 半グレ(暴力団に所属せず犯罪や暴力行為を行う集団)の人間に聞いたのですが、パーティーを主催していた人間は「日本一の振り込め詐欺グループ」ではない、という話もあります。だからどうということではないのかもしれないけれど、それを知って取材するのと、知らないで取材するのとではえらい違いがあると思いますね。

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ネットメディアの「罪」

――メディアの取材力低下といった問題につながる話ですが、溝口さんは昨今規模が広がっているネットメディアについて、どういう印象を持っていますか? 紙媒体と違い「情報が無料」である点には批判も少なくないです。

溝口: やはり、「情報にカネを払わない人は信用しない」と言ったら言い過ぎですが、僕はネットメディアに対して全面賛成、というわけにはいかないですね。情報というものを尊重する人間、文化というものを知りたいと願う人間にとって、「ネットメディアはその欲求を満たしているのか?」と疑問に思うのです。

 (ネットメディアの記事は)ほとんどの場合、無料で提供されている。情報の仕上がりがおざなりで、冗長になっていると思う。書き手の原稿料も安いので、どうしても「数で稼ぐ」ことになる。編集担当はいるんでしょうけれど、校閲の人間も(多くのネットメディアには)いないわけです。

 ネットメディアの送り手側には、「情報を送り出す」ことへの熱意が無い。彼らが興味を持っているのはページビュー数であって、これが上がればいいんだと。「Yahoo!ニュースに取り上げられるとうちのビュー数が途端に上がる」といったことに関心が移ってしまっている。そういう情報媒体に僕は感心しませんね。

――ネットメディアの記者として非常に耳が痛いです。ただ、実は溝口さんも、もとは会社員からキャリアをスタートさせていますよね。6月には、やはりサラリーマンから劇的な転換を遂げた人々の生きざまを取材した『さらば! サラリーマン』(文藝春秋)を出版しました。溝口さん自身の「脱サラ劇」を教えてください。

溝口: 徳間書店に入社して、最初は(雑誌の)『アサヒ芸能』に配属されました。「島倉千代子が今何しているか行って見てこい」とか、いきなり現場に突っ込む社員教育をするところでした。入社1年目でも完成原稿が書ける。記者という仕事を僕はこの1年で確立できたのですよ。徹夜して1本記事を書きあげるような作業が苦でもなく、楽しかった。

 2年目に、『月刊「TOWN」』という雑誌を会社が新たに作ることになり、その創刊準備編集部に異動になりました。3号目で上司に「山口組の話をやるから、お前は作家先生と一緒に神戸に行け」と言われ、その先生のフォロー役を務めました。

 ただ、その人が書いた記事を編集長が気に入らず「お前が書け」と言ったのです。僕がホテルに缶詰めになって書いた長文のドキュメントは評判になりました。その後、この編集長が会社側とケンカをして辞める事態になり、軒並み他の編集者が退社するのに同調する形で、僕も会社を去りました。

 その時の同僚の1人が出版社(三一書房)に入り、僕に「月刊『TOWN』で山口組について書いた文章を膨らませて本にしないか」と言ってくれたのです。それで失業保険を受け取りながら書き上げたのが『血と抗争』。ロングセラーになり、おかげで僕は結婚式を挙げたり、小さな新居を立てたりすることができました。

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