高度成長期、高さ31メートルのビル群が丸の内の旺盛なオフィス需要に応えてきた。そんなビルも、1990年代に入ると老朽化していく。加えて、品川や赤坂、新宿など各エリアで再開発が加速。高層ビルがどんどん増え、丸の内の相対的な競争力が低下していった。さらに、バブル崩壊後の景気低迷により、賃料が高い丸の内から流出する企業が増加。金融機関の再編が進んだことも響いた。
当時の丸の内は、1階に金融機関の店舗が入っているビルが多く、まさに“オフィス街”。平日は午後3時を過ぎると人通りが少なくなる。休日にお客さんが来る街ではなかった。そして、拠点の統廃合が進む金融機関のテナントが抜けてしまうと、路面店が空いてしまい、ますます寂しい雰囲気になる。
そんな状況で建て替えられることになった丸ビル。「飲食や物販の店をたくさん誘致して、雰囲気をガラリと変える役割を期待されていた」と広報担当者は話す。
とはいえ、女性やファミリーをターゲットとする店舗を誘致することは大変だったという。丸の内にはオフィス街のイメージしかなく、サラリーマン向けの店舗が中心だったからだ。それでも、「単なるオフィス街から脱却し、いろんな人に来てもらえる街に」(広報担当者)という、当時の三菱地所の若手社員を中心に考えた“志”に共感してくれるテナントを探した。そして、地下1階〜6階、35〜36階を商業施設とし、140店舗を誘致してオープンにこぎ着けた。
その方向性が表れているのは店舗だけでない。1階には、イベントスペース「マルキューブ」を設置。通常なら賃料が高い1階スペースに、あえてテナントが入らないスペースを設けたのだ。その場所で飲食やスポーツ、芸術などのイベントを開催することで、より幅広い層の人たちを集めることを狙った。そのスペースは現在でも、多種多様なイベントに活用されている。
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