「ミニ四駆」誕生の舞台裏 プラモデルとクルマの幸せな関係ものづくりの歴史(3/6 ページ)

» 2019年08月30日 05時00分 公開
[小林昇ITmedia]

自動車プラモデルの里程標「ホンダF1」

 スロットレーシングカーブームの終息で国内的には沈滞したかにみえたプラモデル業界に大きな話題をさらうキットが発売された。67(昭和42)年に発売されたタミヤの1/12「ホンダF1 RA273」である。これはモーターを載せて走らせることもできるが、基本は鑑賞用の精密模型だ。徹底的に実車を取材して作られ、ゴムタイヤのトレッドに至るまで忠実に再現し、本田宗一郎氏も驚かせたほどの出来だった。

 今では考えられないことだが、F1は当時日本では認知度が低く、F1をキット化しても売れないという問屋なども多かったというが、タミヤでは当時、英国の代理店の社長だったリチャード・コンスタム氏の強い勧めもあり、製品化した。キットは1200円という当時では高価な価格であったが、すぐに1万セットを売り上げるヒット商品になった。

 このキットは68年、タミヤが最初に世界最大のドイツ・ニュルンベルク・トイフェアに参加したときの目玉商品で、海外のバイヤーに大きな反響を呼んだ。これが1980年代に始まるF1ブームでタミヤが主導的な地位を占めるきっかけになったといえよう。

photo 1980年代に始まるF1ブームでタミヤが主導的な地位を占めるきっかけになった1/12「ホンダF1」

社会現象になったスーパーカーブーム

 車のプラモデルで忘れてはいけないのは、75(昭和50)年に連載が始まった『サーキットの狼』(集英社)に端を発するスーパーカーブームであろう。池沢さとしが描くこのマンガは主人公の風吹裕矢がロータス・ヨーロッパに乗って、公道やサーキットでライバルのランボルギーニ・カウンタックなど、さまざまなスーパーカーと対決するというストーリーだ。

phot サーキットの狼(6) 』(ゴマブックス)

 このマンガに目を付けた、当時東京都の江戸川区小松川にあった日東科学は、マンガを連載する『週刊少年ジャンプ』にマンガ使用の許諾を取り、パッケージに池沢さとしのイラストとタイトルロゴを入れた。

 最初に発売した「フェラーリ ディノ スペシャルレーシング」は大当たりし、日東科学は次々とスーパーカーの1/28キットを発売する。キットはモーターライズされていて、最盛期には爆発的に売れたため、モーターの手配が大変だったという。日東科学は全部で29点のスーパーカーを発売、いずれも『サーキットの狼』のイラスト、ロゴ入りだったこともあって、どれも10万台以上の大ヒットとなった。

 他のメーカーもタイトルロゴなどは使用できないものの、さまざまなスケールで多くのスーパーカーが発売された。

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