「ミニ四駆」誕生の舞台裏 プラモデルとクルマの幸せな関係ものづくりの歴史(1/6 ページ)

» 2019年08月30日 05時00分 公開
[小林昇ITmedia]

 「今現在、自動車メーカーとの関係は非常に良好です。2018年、富士スピードウェイで行なわれたトヨタのGAZOO Racing FESTIVALでは、RC(ラジオコントロール)カーとミニ四駆の体験コーナーを用意してくれましたし、マツダやホンダのショールームでも当社のイベントが開催されています。新車も、実車ができる前にデータを提供してくれて、発売とほぼ同時にプラモデルが発売できる状況です」

 プラモデルメーカーの最大手、タミヤの田宮俊作社長は、自動車メーカーとの関係を、そのように語った。

 今から60年余り前、玩具メーカーのマルサンが初の国産プラモデルを発売したそのラインアップの中に、日産自動車の小型乗用車「ダットサン1000」が含まれていたことを知っている人は少ない。これはもちろん、国産車がプラモデル化された最初のキットということになる。

 プラモデルの先進国、米国や英国でも自動車のキットは数多く発売されていた。レベル、オーロラ、レンウォール、パイロ、エアフィックス、フロッグなどから発売される海外製品は、デパートの玩具売り場に並べられたものの、子どもたちには高嶺の花だったという。まさしく20世紀後半はモータリゼーションの時代だった。

 プラモデルの市場で、自動車というアイテムは戦車や戦闘機などと違って身近であるため、ビギナーが手に取りやすいとされてきた。「自分の乗っている車をプラモデルで作ってみたい」という欲求を多くの人が持つというのだ。プラモデルにおける自動車の歴史を追ってみよう。

photo 1967年に発売されたタミヤの1/12「ホンダF1 RA273」
photo 日産のダットサン1000乗用車(Wikipediaより)

市場を席捲したスロットレーシングカーブーム

 プラモデルの市場における“自動車”のブームはいくつかあった。その最初のものが「スロットレーシング」ブームだった。スロット(溝)の付いたコースで模型自動車を走らせ、着順を競うゲームで、スロットは電路になっていて、車体側のガイドに設けられた集電ブラシで電力を得て、モーター走行をする仕組みになっている。ユーザーは手に持ったコントローラーで加速、減速をする。この構造は鉄道模型と同じだといえよう。

 このスロットレーシングは英国で誕生し、1950年代末から60年代にかけて米国の西海岸で爆発的にヒットし、日本には63(昭和38)年頃に入ってきたとされる。

 「走るプラモデル」と呼ばれたスロットレーシングカーは、プラモデルメーカー、問屋、マブチモーター(当時、車の模型に搭載できる小型モーターはマブチが圧倒的なシェアを持っていた)を巻き込み、大掛かりなマーケット開拓がなされた。遊園地やボーリング場などにコースが作られ、商社なども参入してきたという。実際のゲームは1回10分程度を走らせて30円から50円くらいで、その中にはレーシングカーのレンタル代も含まれていた。

 レーシングカーは実物のスポーツカーを縮小したもので、スケールは1/24が主流。それに対して、家で遊べるホームサーキットというものも発売され、これは少し小ぶりとなる1/32が発売された。8の字型のプラスチックのコースと、車がセットになっている。このホームサーキットは当時の定価で1万5000円近くしたというが、クリスマスや正月には飛ぶように売れた。

 もちろんマルサン、タミヤ、イマイ、ハセガワ、ニチモといった当時の日本のプラモデルメーカーもこぞって、このスロットレーシングカーに参入した。

photo スロットレーシングカー(タミヤ提供)
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