「ミニ四駆」誕生の舞台裏 プラモデルとクルマの幸せな関係ものづくりの歴史(2/6 ページ)

» 2019年08月30日 05時00分 公開
[小林昇ITmedia]

子どもへの犯罪事件が頻発 わずか1年でブーム終息

 しかしこの日本のブームはわずか1年余りで終息してしまう。レース場に行った子どもが恐喝にあうなど、犯罪に巻き込まれる事件が頻発し、PTAや学校が出入りを禁止したからだ。ブームの急激な落ち込みに、メーカーによっては過剰投資、不良在庫の問題によって倒産するところも現れた。

 一方、タミヤのジャガーDタイプのように、海外にも通用する高品質な製品を開発することによって、国内消費が落ち込む中、海外販路開拓に成功するメーカーも現れた。タミヤの田宮俊作社長は当時を振り返ってこう語る。

 「スロットレーシングは国内的にはあっという間に終わってしまいますが、タミヤは徹底的に走行性能にこだわった商品開発をし、それが海外でも評価されて、タミヤというメーカーが世界に打って出るきっかけになりました。

 1965年9月に発売したロータス30はカメラ用のボールベアリングを採用し、コイルスプリングのサスペンションを付けることで、圧倒的なスピード、安定性を実現しました。66年に米ニューヨークのロングアイランドの小売店を回って営業したのですが、『日本製のキットなんてダメだ』とまるっきり取り合ってくれない。

 ところが、ドイツでタミヤのスロットレーシングカーが売れているというじゃないですか。私たちの全く知らないところで、スイスの問屋が仕入れて、ヨーロッパで売っていたんですね。当時は1ドル360円でしたから、タミヤのキットは安くて速いということで大評判になりました」

 ちょっと言いすぎかもしれないが、日本の自動車は、実車より先にプラモデルの方が世界で評価されたのではないだろうか。

photo ミニ四駆の生みの親、タミヤの田宮俊作社長

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