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» 2019年10月26日 05時00分 公開

堀江貴文の『捨て本』【前編】:ホリエモンが「東大卒ブランド」を捨てた理由――私はこうして起業家人生をスタートさせた (4/5)

[堀江 貴文,ITmedia]

父に「卒業だけはしろ」と諭されるも東大を中退

 大学4年のときから、仕事としてITの世界に触れた。次第にインターネットに、夢中になっていった。朝から晩まで、時間があればずっとPCに向かっていた。

 Webの世界は、スマートだった。全世界の情報がひとつの画面に集まる。百科事典や新聞などとは桁が違う、知の集積にアクセスできるだけではない。コミュニケーション、ショッピング、金融などあらゆるシステムと深くつながり、リアルの社会の景色を変えていくのだと思った。

 インターネットでの仕事は、処理スピードが速く、ミスしたとしても修正がすぐできる。トライアンドエラーの回数をいくらでも増やせ、そのぶん成功確率を高めていくことができた。しかも少ない人手で仕事が回せる。インターネットで、理想の未来がやって来る。僕はそう確信するようになった。

 ほどなく、僕はインターネット事業の会社を興そうと決めた。起業家としての知識は「上場って何でしょうか?」というレベルだった。最初に会社をつくるときは、書店で『会社のつくり方』という本を一冊買ってきて、具体的な手続きを学んだ。まずハンコをつくって、登記とかいう作業が必要なのか……というような状態だった。

 見よう見まねで、ものすごく稚拙な事業計画書をつくった。稚拙だったけど、書いていく過程で、頭のなかで描いていたビジネスのぼんやりした全体像が、輪郭をもって具体的になっていくようだった。最初の事業計画書のプリントアウト版は、いまも残っている。

 「1996年3月30日 午前4時43分」

 記録した時間帯が早朝なのは、仕事で残務処理をしてから帰宅して、そのまま書き上げたのだろう。事業計画書に書いた社名は「リビング・オン・ザ・エッヂ」(崖っぷちに生きる)。後に有限会社オン・ザ・エッヂと社名をあらため、社長には僕が就いた。この会社で、起業家としての僕の人生がスタートした。

 会社を立ち上げた時期と前後して、僕は東京大学を中退した。正確には1997年の2月に、中退という記録になっている。行くのを完全にやめたら、自動的に「除籍」されたという具合だ。僕に除籍の通知があったのかどうかは、もう覚えていない。

 でも、八女市の実家に、教授から報告はあったようだ。その頃にはもう、僕は実家とは連絡を取り合っていなかった。でも除籍となって、さすがに驚いたのか、父親が電話をかけてきた。

 「中退はダメだ。絶対に卒業だけはしろ」というような話をされた。適当に聞き流し、全面的に無視だった。地元にいれば鉄拳制裁だったかもしれないけど、遠く離れて住んでいるので、父親の怒りは、まったく届かない。まあ、どんな正論を言われようと、僕の人生を生きるのは僕自身なのだ。僕が起業してビジネスを始めるのだと決めたら、もうその通りに突き進むのみ。決定事項なので、他人の意見になんか従うわけない。

phot 「僕の人生を生きるのは僕自身なのだ。他人の意見になんか従うわけない」(写真提供:ゲッティイメージズ)

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