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36歳ロスジェネ女子がはまった“やりがい搾取”に見る日本企業の闇新連載「ロスジェネ女子の就職サバイバル」(2/4 ページ)

» 2019年10月11日 08時00分 公開
[菅野久美子ITmedia]

月6、7回は仕事で徹夜……

 「当時は、全然お金がなかったんです。若いから、洋服は欲しい。だから、削るのは食費ですよね。空腹を満たすために大量に米を炊いて、毎日そればっかり食べていました。米食べてると、炭水化物だから食費を削ってても痩せないんです。そのお給料が安すぎるなんて思わなかった。ちょっと気を緩めて使っちゃうとすぐなくなっちゃう。親に泣きついたこともありましたね。でも、極限にもならないと親にも頼れないから、電気ガス水道などの光熱費も引き落としギリギリまで払っていませんでした。親に入金を頼んだタイミングで、東京ガスから引き落とされて、悲しくて泣いたこともありました」

photo 就職氷河期における学卒未就職者の推移グラフ(政府の経済財政諮問会議による「就職氷河期世代の人生再設計に向けて」資料から引用)。就職氷河期が直撃したロスジェネ世代だが、何とか職を得た人にも厳しい就業環境が待っていた。

 涼子さんの担当していた雑誌は隔週誌のため、校了も月2回ある。毎週金曜の会議と合わせると月回6、7回は、徹夜での作業となる。社員やバイトはみんな精神的に病んでいったが、涼子さんは世の中はそんなものかと思い、馬車馬のように働いた。

 2年後に別の出版社に転職。しかし、そこでも日給9000円のバイトからのスタートだった。1日12時間勤務というハードな生活は変わらなかった。

バイトから社員昇格、でも「減給」

 その会社で正社員はドライチ(ドラフト1位)と呼ばれていた。ドライチは社内でも数名で、他はほとんどがバイトか契約社員だった。当時は、氷河期真っただ中で、早慶卒のバイトも周りには、たくさんいた。彼らもドライチ以外はボーナスはおろか、残業代も出ない。

 「夏と冬のボーナスがドライチに出ると、私たちは『おごっておごって〜』とタカりにいくのが恒例でした。後輩で仕事ができるわけじゃないのに、ドライチというだけで給料も雲泥の格差で、ボーナスが出る。ロスジェネの同期の男性で、お子さんがいらっしゃるバイトの方もいたし、生活は大変だったんじゃないかなと思います」

 日給9000円のバイトから、2年後に晴れて契約社員になった。それでも月給は額面で19万円。契約社員になると、残業代の出ない固定給となり、総額の給料はバイト時代よりも大幅に減るという逆転現象が起こってしまった。

 世間ではITバブル真っ盛り。ホリエモンやサイバーエージェントの藤田晋社長が脚光を浴び、まぶしかった。涼子さんが働く出版社は、雑誌を中心に紙媒体が低迷し始めていた。

 しかし紙メディアで働く人間は、「しょせんwebなんて…。やっぱり紙の質感には敵わない」とかたくなに固執していた。涼子さんも内部にいると、そんな感覚に毒され、マヒしていた。

 24歳で入社した会社には5年いたものの、給料は額面19万から一向に上がらない。ちょうどその年、同業の夫と結婚。2馬力となり経済的にも安定するようになる。そのため涼子さんはこれまでの人脈を生かし、思い切って退社し、フリーの編集&ライターへと舵を切ることにした。

 しかし、フリーになってからも、悲惨だった。付き合いのあった雑誌も総じて傾きはじめたのだ。特に、大きな収入源だった女性誌のギャラも煽りを受けるようになる。

 「(手掛けていた)女性誌のページ単価は取材費も込みで、9000円なんです。1ページのテキスト量が尋常じゃなくて、テキストボックスを埋めていかなきゃいけない。インタビューは10人一気にやらきなゃいけなくて、1日かかる。いくら頑張ってもお金にならなかった。結婚して旦那が家賃を払っていたので、なんとかなった感じです。お金がないこととかも認めたくなかったんでしょうね。貯金なんて当然できませんよ」

 同業で同い年の夫も年収400万ほど。いよいよ主収入だった女性誌も売れなくなり、最終号となった。夫とも年収を巡って言い争いになり、程なくして離婚。

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