大戸屋が炎上した背景に、ブラック企業と日本軍の深い関係スピン経済の歩き方(3/5 ページ)

» 2019年12月17日 08時04分 公開
[窪田順生ITmedia]

「日本軍」にたどり着く

 では、どうすればこれをなくすことができるのか。問題解決をするうえでひとつの反面教師になるのは、「日本軍」ではないかと考えている。

 今我々が直面しているこれらの問題と、そこにまつわるハラスメント的なものが一体いつから始まっているのかというルーツをたどっていくと、どうしても「日本軍」にたどり着くからだ。

 「なんでもかんでも戦争に結びつけるな! この反日左翼め!」という罵声が聞こえてきそうだが、事実として先ほどのような「残業なくしたくてもなくせない問題」と丸カブりするような構造的な矛盾に、実は帝国陸軍も頭を悩ませていた。

 それは、「私的制裁をやめさせたくても、やめられない問題」である。

 当時の上官は兵士に対し、朝から晩までビンタをしていた――。このことを否定する人は、さすがにいないだろう。多くの軍経験者が暴力被害を証言しているように、軍隊内では私的制裁は「容認」されていた。例えば、大内誠の『兵営日記 : 大戦下の歩兵第二十七連隊』(みやま書房)

 「中隊幹部が私的制裁を黙認していたのは、軍隊教育の根幹である。絶対服従の精神を恐怖心と共に叩き込むことの効用を知っていたからであろう」

 しかし、一方で私的制裁は天皇陛下の名のもとに「厳禁」とされており、軍の公式な資料でも「私的制裁が常態化してます」なんて記録は残っていない。つまり、日本企業の「残業」と同じく、建前的には撲滅しなくてはいけないものだが、そもそも組織が私的制裁で成り立っている側面もあり、裏では「必要悪」だと割り切られ、当たり前のように行われていたのだ。

 では、この「矛盾」をどう乗り越えたのかというと、これも「残業」と同様に「現場」である。上からのプレッシャーをかけられた現場の兵士たちが帳尻合わせをしていたのだ。陸軍の下級士官として終戦を迎えた評論家の山本七平氏もこのように証言している。

 『たとえば私が入営したのは、「私的制裁の絶滅」が厳命されたころで、毎朝のように中隊長が、全中隊の兵士に「私的制裁を受けた者は手をあげろ」と命ずる。(中略)だが昨晩の点呼後に、整列ビンタ、上靴ビンタにはじまるあらゆるリンチを受けた者たちが、だれ一人として手をあげない。あげたら、どんな運命が自分を待っているか知っている。従って「手を挙げろ」という命令に「挙手なし」という員数報告があったに等しく、そこで「私的制裁はない」ということになる。このような状態だから、終戦まで私的制裁の存在すら知らなかった高級将校がいても不思議ではない』(一下級将校の見た帝国陸軍/文春文庫)

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