大戸屋が炎上した背景に、ブラック企業と日本軍の深い関係スピン経済の歩き方(4/5 ページ)

» 2019年12月17日 08時04分 公開
[窪田順生ITmedia]

基本的な構造は酷似

 大戸屋の場合、残業をなくすという厳命に対して、それを達成できない現場が叱責にあったが、帝国陸軍の場合は、私的制裁をなくすという厳命に対して、叱責を恐れた現場が先回りして「隠ぺい」に走ったのだ。

 結果がちょこっと違っているだけで、組織の矛盾をごまかすために、現場が「上」から「数の帳尻合わせ」を押し付けられる、という基本的な構造は驚くほど酷似しているのだ。

 では、なぜ70年前の軍隊組織と、令和日本のハードな働きぶりで知られる企業が瓜二つになってしまうのかというと、理由はいたってシンプルで戦後、日本の「企業文化」のベースになっているのは、日本軍の組織運営や人材育成だからだ。

 高度経済成長期に会社の幹部や、管理職になっている40〜50代は、軍隊で朝から晩までビンタされたか、軍隊にいなくとも戦時体制下の教育を受けていた人である。それは言い換えれば、「私的制裁は必要悪」「上官の命令は絶対」「組織のために個人が命を投げ出すのは当たり前」ということが骨の髄まで叩き込まれた人でもある。

 彼らが企業の中で、中心的な役割になれば、果たしてどんな企業文化が生まれるのかは容易に想像できよう。昭和のサラリーマンはパワハラなど日常茶飯事。高度経済成長期なんて日本中ブラック企業ばかり。よく聞く話だが、それはかつての「皇軍戦士」が「企業戦士」になって、軍隊組織と同じノリで企業を運営してしまったからなのだ。

マネジメント層のおじさんは「私的制裁は必要悪」という組織で若い時代を過ごした(出典:ゲッティイメージズ)

 このような日本軍のDNAは「上官の命令は絶対」というカルチャーもあって、社長から管理職、管理職から新人へという感じで忠実に引き継ぎがなされた。その結果が「今」である(参照記事)。つまり、大戸屋のパワハラが、帝国陸軍の私的制裁と妙にカブるのは偶然などではなく、孫におじいちゃんの面影があるような必然なのだ。

 ちなみに、先ほどの「数の帳尻合わせ」を山本七平氏は、「員数主義」と呼んだ。「員数」は日本軍の中でよく使われた独特な言葉で、例えば、部隊の装備品などの検査で数が合わなかったときなど、鉄拳制裁とともにこんな感じで使われる。

 「バカヤロー、員数をつけてこい」

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