ゲームをスポーツ競技として捉える「eスポーツ」が盛り上がりを見せている。近年ではプロスポーツ選手同様、eスポーツで生計を立てる「プロゲーマー」が新しい職業として国内でも認知されはじめていることは、「プロゲーマー「ウメハラ」の葛藤――eスポーツに内在する“難題”とは」や「“元祖プロゲーマー”高橋名人が明かす「日本のeスポーツの課題と戦略」」などでお伝えしてきた。
ひとえにプロゲーマーと言っても、その経歴はさまざまだ。中には、東京大学を卒業してプロゲーマーになった人もいる。今回取り上げる「ときど」さん(34)だ。ときどさんは麻布高校在学中の17歳のときに世界一の格闘ゲームの大会「EVO」で優勝。以後、幾度にもわたって世界一のタイトルを獲得している世界のトッププレイヤーの1人だ。
そのプレイスタイルは屈指の“理論派”として知られ、自身が編み出した合理的なメソッドはファンの間から「ときど式」と呼ばれる。だが、その「ときど式」をもってしても勝てない、スランプの時期が1年近くあったという。
その後ときどさんは、「ときど式」を改良したメソッドである「新・ときど式」を考案。そこには、アジャイルや垂直統合化、PDCAサイクルなど、現代のビジネスに通じる考え方が生かされている。この考え方をまとめた書籍『世界一のプロゲーマーがやっている 努力2.0』がダイヤモンド社より発売中だ。
なぜ東大卒の若者は「プロゲーマー」として羽ばたいたのか。香川県議会では「ゲームは1日60分まで」というゲーム依存対策の条例が可決されるなどゲームを巡ってはさまざまな論争もあるなかで、ときどさんはゲームやeスポーツの課題をどのように捉えているのか――。ときどさん本人がITmedia ビジネスオンラインの取材に答えた。(一部、敬称略)
――格闘ゲームとの出会いは。
出会いは「ストリートファイターII」(ストII)でしたね。ゲームセンターにあるアーケード版ではなく、家庭用のスーパーファミコン版のほうでした。最初は人対人という感じではあまりやっていなくて、いかにしてベガというボスを倒すか、ということを友達と集まってワイワイやっていた感じですね。
――そこから格闘ゲームに思い入れを持つようになったのはどんなきっかけがあったのですか。
みんなでストIIで遊んでいたのが小学校1、2年生ぐらいのときだったんですが、小3のときに横浜の金沢文庫に引っ越したので、一緒に遊んでくれる友達がいなくなっちゃったんですね。それからは、沖縄のいとこと長期の休み中に帰省した際に対戦することが楽しみでした。
いとこが5歳上だったので、最初はボコボコにされたんですが、横浜で半年間練習して、帰省したときにもう一度対戦してみると、結構いい勝負ができるようになったのがのめり込むきっかけだったと思います。
――アーケードゲームをプレイするようになったのはいつからだったのでしょうか。
中学受験が終わった小6のときからですね。ですから、ほとんど中1からと言っていいと思います。最初は駄菓子屋に置いてある筐体で遊んでいました。その後、都内に通学するようになってゲームセンターにも行き始めた感じです。それで、大会にも出場するようになった形ですね。
――そのころは、どのような姿勢で格闘ゲームに臨んでいたんですか。
とにかく大会で勝つぞ、と。それだけに集中していましたね。ただ相手は大人の方ばかりだったので、財力も違えば知識量でも向こうに分があり、なかなか勝てませんでした。
地元のゲームセンターでは勝てるようになっていたので、強いプレイヤーが集まるゲームセンターに遠征して強いプレイヤーと対戦していましたが、やっぱり最初は全然勝てなくてショックを受けていましたね。
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