クルマはどう進化する? 新車から読み解く業界動向

日本車のアメリカ進出  いまさら聞けない自動車の動力源 ICE編 3池田直渡「週刊モータージャーナル」(1/4 ページ)

» 2020年05月04日 08時40分 公開
[池田直渡ITmedia]

 久しぶりにエンジンの話の続きを書こう。ICE編その3である。

 前回は、不可能と思われた厳しい「昭和53年規制」をクリアするために、各社がそれぞれどんな技術を編み出したか。そして、それらが結局、コスト対効果によって、電子制御インジェクターと酸化還元触媒へと収斂(しゅうれん)して、技術的スタンダードが確立するまでを説明した。

 もともと、この昭和48・50・53年規制は、米国で先行していた大気浄化法改正法(通称マスキー法)への対応だった。すでに60年代から徐々に北米マーケットへと進出しつつあった日本車にとって、北米マーケットで販売できなくなることは、成長エンジンを失うことだった。

53年規制をクリアした、ホンダのアコード

北米における日本車の夜明け

 当時の米国は、文句なく世界最大の自動車マーケットであり、突出した巨大マーケットだった。米国での売り上げトップ3であるGM、フォード、クライスラーが、自動的に世界のビッグ3になる時代である。だからこそ日本の自動車メーカーは、不退転の覚悟で技術改良に挑み、規制をクリアした。

 ところが、当の米国では、ビッグ3の激しいロビー運動によって、規制が骨抜きにされた。ビッグ3を擁護するわけではないが、この時点で、マスキー法をクリアするのは不可能とするのが常識的な見方であり、日本国内でも日産とトヨタという両巨頭は、目標値が下げられることを織り込んでいた節がある。

 しかしながら番狂わせが起こる。スバル、ホンダ、マツダがこれらの規制をそれぞれの独自技術でクリアしてしまった。こうなると「不可能」という言葉は説得力を失い、「やればできる」ことが証明されてしまった。その結果、北米で大幅に下方修正した数値が、日本国内ではそのまま据え置かれることになった。

 となれば、日和見をしていた日産とトヨタも、自社の技術が劣っていると思われないためにも、排ガス対策に本気にならねばならなくなった。お題目に過ぎなかったはずの規制を本気にした結果、蓋(ふた)を開けてみれば、世界中の自動車メーカーの中で、日本の自動車メーカーだけが、クリーンで低燃費なクルマを作る技術を習得したのである。

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