「カメラ事業売却」の衝撃 業務提携中のオリンパスとソニー、祖業を巡る両社の分岐点とは?コロナ禍で好対照(2/4 ページ)

» 2020年08月07日 05時00分 公開
[大関暁夫ITmedia]

赤字体質でも「祖業」を手放さなかったソニー

 パラダイムシフトを早期に察知して、次なる戦略的展開を打ち出した代表例はソニーです。同社は5月、2021年4月から持株会社化して社名をソニーグループに変更、銀行業および保険業を担当する関連上場企業ソニーファイナンシャルホールディングスを完全子会社化して傘下に収めると発表しました。同社の社名変更は、創業時の東京通信工業からソニーへ1958年に変更して以来、実に63年ぶり。今回の社名変更について吉田憲一郎CEOは、「多岐にわたる事業をまとめていく会社としてソニーを再定義する必要がある」としています。

 社名変更は、ややもすると創業精神の踏襲や原点回帰とは無縁な新展開の象徴のように思われそうですが、今回のソニーの場合はそうではないようです。ゲーム機、パソコン事業の不振に端を発した03年のソニーショック、さらにはテレビ事業を核とするエレキ部門の不調から同社は構造的赤字体質に陥り、09年からは7期のうち6期で赤字を計上するという長い「冬の時代」を経験しました。しかし不断の努力でようやく出血を止め新たな中核事業を作り出すことで再び成長の芽を紡ぎ、株価で17年ぶりの高値を記録した今の復活は、「祖業」重視の経営姿勢抜きには語れないのです。

 ソニー「冬の時代」において最も厄介だった問題は、巨額の赤字体質に陥ったテレビ事業でした。ソニーにおけるテレビ事業は長年同社の発展を支えてきた最重要事業であり、まさに「祖業」ともいえる存在です。しかしその最重要事業は新興国企業の急追を受けた競争激化による価格破壊に巻き込まれ、構造的赤字事業に成り下がってしまったわけです。

赤字体質でも「祖業」のテレビ事業を手放さなかったソニー(出所:ゲッティイメージズ)

 モノ言う株主からは、再三テレビ事業の売却を迫られてもいました。しかし、リストラ策検討の過程でパソコン事業の売却は決断した経営陣でしたが、より大きな赤字を抱えるテレビ事業に関しては売却を拒み、あえて自力での黒字化に執心しました。祖業であればこその対応であり、モノづくり企業にとって創業来の魂を伝える事業を死守したといえます。

 その後もテレビ事業の黒字化までには一筋縄ではいかない苦労を強いられたわけですが、ソニーにテレビ事業が存続したからこそ、その経験や蓄積ノウハウを活用してその後のソニー復活に大きく貢献した画像センサー事業の確立が果たせたわけなのです。そして今回の社名変更もまた、基本は同じ祖業重視、原点回帰の精神に裏打ちされていると、捉えることができます。

 思えば創業時の東京通信工業からソニーへの社名変更は、電機や通信のイメージに縛られない多角化企業を標ぼうしてのものでした。今回の社名変更の目的も、全く同じ創業の精神を踏襲した新たな多角化戦略です。そして同時に発表されたのは、栄光あるソニーの社名はテレビ事業を核とするエレキ部門子会社に継承されるという計らいでした。大きなパラダイムシフトと対峙した今だからこそ、祖業への敬意と原点回帰の重要性を形で示したといえます。

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