日本を変える「テレワーク」

画面上の「上座」に悩む前に “無言”も武器になる、コミュニケーションの本質河合薫の「社会を蝕む“ジジイの壁”」(2/4 ページ)

» 2020年09月11日 07時00分 公開
[河合薫ITmedia]

コミュニケーションの一環として“ネット上座”もあり?

 コミュニケーションは「言葉のキャッチボール」というように、言葉のメッセージの意味を決めるのは常に「受け手=キャッチする人」です。コミュニケーションに悩むのは「投げ手」なのに、受け手が主導権を持っているという理不尽が存在します。だからこそ、コミュニケーションは永遠のテーマになりうるわけです。

 そうです。相手に敬意を払うことはコミュニケーションを円滑にする基本なのです。

 いずれにせよ、Zoom会議に慣れないベテラン上司が、「Zoomで自分の顔を大きく映してほしい!」とぼやいているなんて記事が話題になったこともありましたね。リアル会議なら「上座」にドンと座るだけでアピールできた人たちが、Web会議ではそれができない。

 悲しいかな、人は「変化」を恐れる生き物です。とりわけ肉体的にも、精神的にも、社会的にも、それまで当たり前のようにあったモノがだんだんと消えていく現実と向き合うのは、とてつもなくしんどい作業です。

自分の存在を脅かす急激な変化に対応するのはしんどい作業(写真提供:ゲッティイメージズ)

 今までならその恐怖から逃れるために、部下たちに「過去の栄光」を自慢したり、部下の意見にケチをつけたりすることで「自分の存在価値」を誇示できました。でも、今はそれができません。会社に行くことが減り、無駄話をする機会も激減し、「仕事をやってるふり」もできなくなりました。

 会社で見えていた景色(=部下たちがいる)と、PC越しに見える景色が違いすぎることで、自分の存在価値まで失われてしまうのでは? と不安になる人もいるかもしれません。

 ですから、「ネット上座」だろうとなんだろうと、自分が“立てられて”恐縮する人はいますが、怒る人はめったにいませんから、ものは試しでやってみるのもアリかもしれません。

 と同時に、Web会議では「コミュニケーションが取れているようで取れていない」という現実も忘れないでください。

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