講師や研修の担当者は真に教育を目的にするのであれば、意図と勇気をもって、多少難度を上げてでも、受け手に考えさせる良質なコンテンツを放っていかなければなりません。そうしなければ、受け手の「受信・読解」力は養われることがなく、どんどん、教育や意思疎通が薄っぺらな状態でしか成立しなくなります。
喩えて言えば、消化のよいものばかり食べていては、あるいは、刺激味のあるジャンクフードばかり食べていては、咀嚼の力もつきませんし、健康な身体もつくれません。噛んだり、飲み込んだり、味わったりすることが少し大変だけれども、滋養のあるものをしっかりと食べるという習慣が、私たちには不可欠です。
コミュニケーション能力の重要性はそこかしこで言われています。そしてコミュニケーション能力を向上させるプログラムも多種多様に開発されています。が、そのほとんどは送り手側の「発信・表現」力に着目されています。しかし教育的観点からみれば、コミュニケーション能力における一番深刻な問題は、受け手の「受信・読解」能力の脆弱化にこそあると思います。2018年のベストセラー『AI vs. 教科書が読めない子どもたち』(新井紀子著)でも、子どもたちの読解力の弱さが問題の根源に据えられていました。
人と人との豊かな交流・啓発が起こるためには、厚みのあるコミュニケーションが必要です。それは「伝える/伝わる」プロセスにおける、送り手と受け手双方のメッセージをめぐる創造が豊かになされることです。
作家の井上ひさしさんは、「むずかしいことをやさしく、やさしいことをふかく、ふかいことをおもしろく、おもしろいことをまじめに、まじめなことをゆかいに、そしてゆかいなことはあくまでゆかいに」と言いました。
難しいことが易しく、易しいことが深く、深いことが面白く、面白いことを真面目に、真面目なことを愉快に、愉快なことを愉快に、発信でき受信できるために、私たちは送り手としても受け手としても豊かに力と感性を養っていきたい。(村山 昇)
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