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仕事で死ねて本望? モーレツ社員の危険すぎる“過剰適応スパイラル”河合薫の「社会を蝕む“ジジイの壁”」(1/3 ページ)

» 2022年03月25日 07時00分 公開
[河合薫ITmedia]
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 個人的な話からさせてください。

 今から8年前、長年お世話になっていた知人が、心筋梗塞で突然死しました。その知らせが届いた数日前、私は彼から電話をもらったのに、出なかった。いや、正確には「出たくなかった」。

 留守電に残されたメッセージには、「お父さんの具合どうですか? 大変だと思うけど、 薫ちゃんが倒れないようにね」と私を気遣う元気な彼の声。当時、ステージIVbの膵臓がんに侵され闘病していた父の病状が悪化し、私は誰とも話す気分になれず、「ちょっと落ち着いてからかけ直そう」と考えていたのです。

画像はイメージです(提供:ゲッティイメージズ)

 その4日後、「他界」というにわかに信じ難い文字が印刷されたハガキが、彼の奥さまから届きました。「夫である○○が、一昨日の晩、急性心筋梗塞で他界しました」と書かれ、葬儀の日程の案内が。

 何かの間違いかもしれないと思った私は、恐る恐る彼の携帯を鳴らしました。「あ、あれはね〜」と、笑いながら彼が出るんじゃないかと、期待したのです。

 ところが、受話器をとったその声は、聞き覚えのある声とは少しだけ違っていました。

 「その日もいつも通り仕事して、夜は会食に出掛けて元気だったので信じられないのですが。とにかく父は仕事が好きだった人なので。最後の最後まで仕事ができて、本望だった思います」

 携帯を取ったご子息が、自分に言い聞かせるようにそう話しました。

 そして、葬儀当日、会場に入りきれないほど大勢の人たちと壇上に所狭しと置かれた花の向こうで、彼は笑っていました。いつものように。おおらかに、豪快に。

 奥さまは弔問者一人一人に深々と頭を下げ、 「仕事が大好きな人だったので、寝る間も惜しんで働き、好きな歌をカラオケで歌い、たくさんの方たちに巡りあえた幸せな人生だったと思います。ありがとうございました」と一言一句、かみ締めるように発し、気丈に振る舞っていました。

 会いたくても二度と会えない底知れぬ悲しみに襲われた時、人は必死でその“心”を支える言葉を求めます。ご家族にとって、「好きな仕事していたのだから、本人は幸せだったでしょう」 という言葉が、無念さと向き合うためには最善でした。

 私は電話をかけ直さなかった自分を恨めしく思う一方で、もし「長時間労働は命を削る悪しき働き方」「休息をとったほうが効率が上がる」という常識が、もっと社会に浸透していたら? もし「どんなに本人がやりたくてもできない社会」だったら? と考えました。

 そうしたなら、家庭人としての幸せが待っていたはずなのに。後悔とやりきれなさで、心も頭もグチャグチャで、ぬぐってもぬぐっても涙がとめどなくあふれてきました。

 ……そう、知人は、長時間労働で「過労死」したのです。

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