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ボタンを押せば、会議は即終了──そんな時代にこそ、デキる人が「会議後にやること」とは? 井伊直弼の「独座観念」に学ぶ茶道に学ぶ接待・交渉術(1/4 ページ)

» 2022年08月11日 07時00分 公開
[田中仙堂ITmedia]

連載「茶道に学ぶ接待・交渉術」

 テレワークにオンライン会議など、新たなスタンダードが登場した現代は、これまでのビジネスの前例だけでは、カバーしきれなくなった時代です。そんな時代には、日本人が古くから狭い茶室で対面していた時にはどんな配慮が求められていたかを参照してみることにも、意味があることでしょう。

 本連載では、現代のビジネスシーンでも応用できる、茶道に伝わる格言をご紹介します。

 リモートでの会議や商談は、もはや当たり前のコミュニケーション方法となった現代。リモートで人と話した後に、今までとは違う疲れ方をするなと感じてはおられませんか? 筆者は、それまでに面識があった人との場合とリモートで初対面とでは、後者の方が疲れるような気がして、その原因を考えたことがあります。

 それまで面識がある人の場合は、対面で話していた時の経験も踏まえ、どんなニュアンスで話しているかを補えます。そのため、自信を持ってコミュニケーションを取れますが、初対面の人にはこうしたことができません。結果、戸惑って疲れてしまうように感じられます。

 申し上げたいことは、リモート会議では得られる情報が限られることで、対面では表情だけでなく細かい体の動きや、全身からの雰囲気などの情報を感じ取っていたことをあらためて痛感したということです。今回は、そんな時代のビジネスパーソンに送りたい茶道の言葉「独座観念」をご紹介しましょう。

photo リモート会議では、表情や細かい体の動きといった情報が得られにくい(画像はイメージです。提供:ゲッティイメージズ)

引き際にポイントがある

 独座観念は、一期一会ほど一般的にはなっていませんが、井伊直弼が『茶の湯一会集』において設定したコンセプトの一つです。茶会を終えた後に、一人で反省する時間の持ち方を説いています。直弼は本書の中で、独座観念を独立した項目として立て、茶会が終わった時の様子を次のように述べています。

 亭主も客ももっと居たいのはやまやまで心残りではあるけれども、退出のあいさつが終わったら、客も露地を出る。その時、声高に話さず、静かに後ろをかえりみみて出てゆくので、亭主はなおさらのこと、客が見えなくなるまでも、見送るのである。

 さて、中潜り・猿戸・その他の戸障子など、早々と締めてしまうことは、興ざめもいいところで、一日の供応も無になってしまう。帰る客の後ろ姿が見えなくなっても、絶対に片付けを急いではいけない。

 いかにも心静かに、茶席に立ち戻って、この時にじり口から入って、「炉前に坐って今しばらく話をしていたかったけれども、今頃はどこまで行ってしまわれたか」などと思いながら、今日の一期一会の会は終わってしまったので、二度と戻ることはないと諦めて、あるいは独りでお茶を点てたりもすること、これが一会の極意の習いである。この時ものさびしくひっそりとして、打ち語らうものは、釜一つの外は何もない、自ら会得する他はない境地である。(※現代語訳と改行は筆者による)

 茶の湯に限らず何事にも引き際が大切です。茶の湯は、亭主が客に対して「まだいるのか」と感じ、客が亭主に対して「まだ引き留めるのか」と感じるまで伸びてしまっては、長すぎたと後悔することになります。お互いにもう少し続けたいと思うところで終わるから、余韻が残るわけです。

 どのように切り上げるかが大切というポイントは、商談でも同じことでしょう。相手がなかなか「イエス」と言ってくれないといって、性急に答えを求めて「ノー」となってはその場で商談は決裂です。歯がゆくても、次回に「イエス」を引き出す余地があるところで切り上げておくという対応は、経験を積み重ねた営業マンが得意とするところではないでしょうか。

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